✬117」118」─1─世界大戦争の前哨戦としての日露戦争。血の日曜日事件。サンフランシスコ大地震と排日運動。1904年 ~No.349No.350No.351No.352@      

レーニンの誤りを見抜いた人々: -ロシア革命百年、悪夢は続く-

レーニンの誤りを見抜いた人々: -ロシア革命百年、悪夢は続く-

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗   
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 日露戦争は日本とロシアの戦争ではなく、欧米列強が関与していた。
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 1904(明治37)年 ワシントンの駐米公使高平小五郎は、ロシア帝国との開戦に当たり、両国との利害関係がないアメリカを仲介として和平工作を行うべきとの建白書を提出した。
 英仏協商。イギリスはエジプトを、フランスはモロッコを、それぞれ取る事で両国による植民地争奪戦は終止符が打たれた。
 2月 日露戦争の勃発。日本総人口約4,000万人、日本軍23万人。ロシア帝国総人口約1億人、ロシア軍112万人うちユダヤ人兵士3万3,000人。
 日本政府は、戦費不足を外債で調達する為に、日銀副総裁高橋是清をイギリスとアメリカに派遣した。
 アメリカの銀行家にとって、ロシア帝国は日本以上に有力な投資先であり、ロシア皇室の莫大な個人資産の運営を委託されている関係から、日本側の要請を断った。
 イギリスの銀行家も、日英同盟を考慮しても、日本の敗北は確実という戦略分析から公債購入を渋った。
 イギリス・ロスチャイルド家は、ロシア帝国に肩入れしているフランス・ロスチャイルド家に配慮して、アメリカのクーン・ロープ商会のドイツ系ユダヤ人ジェイコブ・シフを高橋是清に紹介した。
 ロスチャイルドとロンドン・シティは、ロシア皇帝からカスピ海バクー油田の利権を獲得した手前、表だって交戦相手である日本に戦争資金を与えるわけには行かなかった。
 シフは、ロスチャイルド家の内意を受けて日本の戦費調達に協力した。
 不足分は、イギリス・ロスチャイルドの代理店パンミュア・ゴードン商社が引き受けた。
 ロシアの占領下にあるポーランド人やウクライナ人などの少数民族は、日本はロシア帝国に占領され、領土の一部になるか、植民地となるか、領土の一部を割譲して属国になるものと予想した。
 だが、緒戦の日本軍の勝利でロシア帝国の大勝利という認識は一変した。
 ポーランド社会党などの民族独立派は、ロシア帝国への叛乱の為に日露戦争を利用するべく日本に接近した。
 保守的地主や企業家からなる宥和派は、ロシア帝国に協力して日本を叩いてポーランドの存在を認めさせて妥協を引き出すべきだと、主張していた。
 日本軍部は、ロシア軍内のポーランド人兵士を脱走させ、日本軍内でポーランド軍団を組織させて協力してロシア軍と戦うという、民族独立派の提案を受け入れた。
 日本外務省は、ポーランドの提案を拒否した。
 正攻法を厳守する立場から、ロシア軍後方で兵士や物資輸送を妨害する為の攪乱工作には関心があったが、国際法に抵触する破壊工作には資金を提供する事には反対であった。
 軍部に対して、講和交渉を睨んで戦場をロシア軍が占領する満州地域に限定し、それ以外の中国領とロシア領に戦線を拡大しない事を申し入れた。
 軍部は、ロシア軍に勝利し得ない事を自覚していただけに、提案を受け入れた。
 朝鮮は、日本を滅ぼす好機と捉えたが、軍事大国ロシア帝国が小国日本を滅ぼすと確信して傍観した。
 一部の狂信的反日派は、秘かに、日本軍が不利になるように陰謀をめぐらし、ロシア軍が勝利するように破壊工作を行っていた。
 3月14日 ポーランド社会党は、ワルシャワで日本支持のデモを行ってモスクワに圧力をかけた。彼等は、明治天皇を偉大な指導者と讃えた。
 ロマン・ドモフスキ「日本の勝利 ─それは万人の認める物質的な力に対する道徳的な力の勝利である……。ロシアのアジア支配の強化には、巨万が投じられた。─ そして今日、その全てが、大和魂に宿っていた力によって粉々に打ち砕かれたのである。唯一つの願いに全ての日本人の魂を向かわせ、『大日本万歳!万歳!』という叫びとなって表れる力によって。日本は偉大であらねばならない。未来永劫生き長らえねばならない。……」(『全ポーランド評論』1904年9月〜12月)
 第二次アリヤ。帝政ロシアでさらに残虐なポグロムが起き、大量のユダヤ人難民が発生した。
 こうしたロシア人の度重なるポグロムに反感を抱いたユダヤ人は、日本軍に協力した。日露戦争は、ロシア領内の少数民族に奴隷的境遇を変革する勇気を与えた。
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 1905(明治38)年1月 ロシア帝国首都ペテルブルクで血の日曜日事件が起き、各地でストライキが頻発した。
 反ユダヤ主義の皇帝支持派は、101の都市でユダヤ人へのポグロムを起こし、3,000人を虐殺し1万人以上に重軽傷を負わせた。
 明石大佐ら日本軍謀略機関は、非ロシア系ユダヤ共産主義者やロシア人プロレタリア活動家らに革命資金を提供していた。
 日本軍の重要な兵站線である朝鮮と満州の国境地帯では、民族主義朝鮮人が日本軍の補給路を遮断するべく活動を活発化させていた。
 朝鮮では、親日派は少数派で、反日派が多数派であった。   
 3月 奉天会戦
 5月 日本海海戦
 5月28日 ニューヨーク・タイムズ紙は、夕刊に「(ロシア艦隊は)戦艦を含む12隻が沈没もしくは拿捕されたが、日本側は無傷」という驚愕する記事を掲載した。
 アメリカ人の多くは、白人のロシア人が有色人種の日本人に勝利する確信していただけに、直ぐには信用しなかった。
 それが事実と知るや、日本を褒め称えるどころか、日本を警戒し、日本を憎むようになった。
 人種差別を神聖なる理とする白人至上主義的アメリカの宣教師達は、邪教国日本を滅ぼす為に中国に渡って布教活動を行い、中国人の反日意識の広がりと共に信者を増やしていった。
 6月 日本軍部は、これ以上の戦争継続は不可能との判断から、政府に対して早期講和を要請した。
 日本政府は、アメリカに和平への仲介を正式に依頼した。国力の貧弱な日本は、無理を重ねて約110万人を動員して20万人以上の死傷者を出し、すでに戦争を続ける余力はなかった。
 日本は、幕末以来にロシアの侵略の恐怖から自衛戦争を戦ったのであって、領土拡大の目的で侵略戦争を戦ったわけではない。
 一方、ロシア帝国は200万人以上を大動員したが、さらに100万人以上の兵力を対日戦に投入するべく準備を始めていた。
 日本政府と軍部は、国民に真実を知らせず、何時の時代でも嘘を吹き込んでいた。
 フランスとドイツのユダヤ人財閥は、当初はロシア軍の勝利を信じて財政支援をしていたが、相次ぐ敗北でロシア帝国への戦費支援を制限した。
 ロシア帝国は、財政難と革命騒ぎで、日本との講和交渉に応じる決断をした。
 7月 ハンブルグの金融業者バールブルクは、縁戚のシフの要請に従い、日本の外債を引き受ける為にドイツ銀行団をまとめた。
 兵器会社のヴィッカース社は、国際金融資本の融資を受けて日本へ大量の武器を輸出した。
 8月1日 鉄道王ハリマンは、ジェイコブ・シフと共に来日した。
 ジェイコブ・シフは、東清鉄道とシベリア横断鉄道を繋いで世界一周鉄道網を建設するというハリマンの計画を支持していた。
 8月10日 アメリカのポーツマスで、日露講和会議が開始された。
 ロシア帝国は、日本に賠償金や領地の割譲といった妥協はしないと強硬姿勢を崩さなかった。
 日本は、戦費を使い果たし、兵士は疲弊して戦争の継続は不可能であったが、交渉が決裂すれば戦闘再開も「やむなし」と覚悟した。
 セオドア・ルーズベルト大統領は、開催地国の名誉を守る為に、ロシア帝国に有利な妥協案を提示した。そして、「講和条約に応じなければ、両国に最後通牒を送る」と恫喝した。
 日本の全権大使小村寿太郎外相は、肉親を戦争で失った日本国民が激怒して暴動を起こす危険があると理解しながらも、戦争を終結する為にルーズベルト提案を受け入れた。
 つまり、民意よりも国益を優先したのである。  
 9月 日本は、不満はあってもアメリカの仲介案を受け入れて賠償金請求を放棄し、ポーツマス条約を締結した。
 日本政府は、真相が国民にばれない様に隠蔽した。
 満州に関する合意事項。旅順・大連の関東州の租借と長春・旅順間の南満州鉄道及びその付属の権利の譲渡。
 満州における清国の主権を尊重する事から、両軍は南満州から撤退する事に合意した。
 日本軍は、南満州全域から関東州と鉄道付属地内に撤退し、講和条約の合意に従って駐留部隊を約1万人に制限した。
 ロシア軍は、南満州に駐屯させていた部隊を北満州とシベリアに撤退させたが、対アジア戦略から極東地域に約40万人の大軍を常駐させた。
 独立派朝鮮人は、反日的国際情勢を見据えて、日本軍の後方で破壊活動を続けた。
 キリスト教会は、天皇の現人神としての宗教権威を破壊する為に、日本軍支配下の朝鮮と満州反日朝鮮人武装組織に接近した。
 10月10日 枢密院は満場一致で条約を裁可した。
 新聞各社は、「国家存亡の為に同胞十万人が満州平原に血を流している」として反政府世論を煽動し、賠償金を取れないポーツマス条約に反対する暴動を煽った。
 事実を知らない国民は激怒し、小村外相の弱腰外交を攻撃して各地で暴動を起こした。日比谷公園焼き討ち事件など、全国で数々の事件が発生した。
 政府は、緊急勅令を発して、帝都東京に戒厳令を施行し、近衛兵などの軍隊を出動させて暴徒を鎮圧した。
 日本軍は、大軍を集結しているロシア軍が近日中にも復讐戦を仕掛けてくる可能性があると警戒し、兵站線上にある満州と朝鮮国境地帯に点在する反日派朝鮮組織を弾圧した。
 民族主義に燃えた朝鮮人は、激しく抵抗した。 
 10月12日 財政の逼迫状況にあった日本は、期待した賠償金が獲得できず、多大なる犠牲の上で獲得した満州鉄道の経営と満州開発は貧弱な民族資本だけでは資金不足であった。
 桂太郎首相は、ハリマンと会談し、日本が獲得した南満州鉄道の共同経営に関する仮条約に調印した。
 元老の伊藤博文井上馨そして財界の渋沢栄一らは賛同したが、本契約の調印は小村外相の帰国後とされた。
 桂首相と民族派元老は、国家運営の面からユダヤ人国際金融資本との提携を重視し、国際金融資本が満州開発に投資しやすくする為に、満州鉄道を1億円で彼等に売却する事に内諾した。
 アメリカは、中国市場への進出を国益としていた為にハリマン構想(鉄道と金融でアジアを征服する)を支援し、特定の勢力(特に日本)を満州から排除して列強が同地帯の安全を保証するという中立化案を提案した。
 「日本は外圧に弱い」、というのが世界の認識であった。
帰国した小村外相は、「外国資本を入れたら、将来に禍根を残す」として、ハリマンとの協定を破約させ『満韓経営要綱』を練り上げた。
 小村寿太郎は、満州開発にJ・P・モルガン財閥の資金援助を受ける密約を交わしていた。
 気弱な日本人は、対人恐怖症と視線恐怖症を持病に持ち、白人の威圧に萎縮して何も言えず立ち尽くす。
 日米共同経営としてアメリカ資本を受けてしまっては、経営会議や現場で外国語の苦手な日本人では自己主張できず、人の良い素朴な日本人は不利な立場に追いやられて、ついには全ての現場・部署から排除される恐れがあると判断したからである。
 だが、資金不足にあるのも事実である以上、外債を募集する為に国際金融資本との関係悪化を避けるべく細心の注意を払った。
 保護貿易論者の高橋是清は、国際金融市場への参加希望から、ユダヤ人金融資本との協力関係を重視する事を希望した。
 小村寿太郎は外交官として、高橋是清は国際金融家として、キリスト教世界での人種差別に苦しめられた事を教訓として、天皇を中心とした祖国日本を如何に守り発展させるかに腐心した。
 アメリカ政府は、日本のハリマン提案拒否を自国の対中国政策への挑戦であり、アメリカ資本の満州貿易から排除する意図があると分析した。
 企業団は、満州市場への進出を図る為に、政府に対して日本に外圧を強める様に要求した。
 国務省は、日本の満州開発への財政支援を禁止する原則を打ち出し、日本を世界で孤立化させる為の強硬外交を展開した。
 日本の鉄道事業計画は、国内はイギリス方式を取り、満州鉄道はアメリカを見本とした。国内産業の育成に力を入れながらも、アメリカやイギリスなどから大量の資材を赤字覚悟で輸入した。
 満州鉄道は、鉄道敷設資材や機関車・車両の大半をアメリカから購入した為にアメリカ鉄道と揶揄された。
 植民地を持った近代国家として認められる為にも、国外利権である満鉄経営を成功させる必要があった。
 経営の健全化の為にも、搾取と横領を当然の権利とする傲慢な中国人支配層を経営者に加えるわけには行かなかった。
 日本の政治的経済的国防的生命線という認識から、中国国内で最も成功した鉄道にする必要があった。
 だが、差別的正統派儒教の中国人知識階層を経営陣から排除した事が反感を買って、民族主義による排日運動が広がった。  
 中国人が経営に参加した中国の鉄道では、例外なく、乱脈経理に陥り、経営難となっていた。政府高官や軍閥が車輛を私的に乱用した上に、売上金を着服して経営を圧迫していた。
 個人主義の彼等には、公理を重視する日本の様な公益観念は皆無であった。  
 現場の中国人鉄道工員の労働意欲の無さから、線路や橋脚の保守点検がなされず、至るとこで破損が目立ち、事故や故障が絶えず、遅々として復旧も進まず運休や遅れが頻繁に起きていた。
 中国人運行管理官の怠慢から列車の発車や到着が予定よりずれ込み、中国人駅員によって運転資金の横領や鉄道資材の横流しなどで経営状態は悪化していた。
 都市部の治安は軍隊が守っていたが、農村や山岳地帯は匪賊が支配する無法地帯となっていた。
 日常茶飯事的に殺人などの犯罪が発生し、各地で列車強盗が頻発していた。
 アメリカ人やイギリス人が共同経営する鉄道も、軍閥の支配が強化されるや融資は横領されてさらなる融資を脅迫され、運営費や維持費も着服されて倒産寸前の経営状態に追い込まれていた。
 傲慢な中国人将校は、乗客を追い出して上級客車を占領するや、娼婦を連れ込んで乱痴気騒ぎを行った。
 分別無き中国兵が客車を使用するや、例外なく車内は豚小屋の様に汚され、装飾品は全て略奪され無惨な残骸となった。
 強欲な中国人は、気弱な日本人とは違って、他人の視線も評価も一切気にしない。よって、自分を抑えるという自己抑制としての公共意識は全くなかった。
 つまり、中国人には自分が不利になる様なマナーを守る気はなかった。   
 11月 フランス政府は、ロシア帝国との友好国として日本に対して敵対的外交を行っていた。だが、フランスの銀行団は、イギリス、アメリカ、ドイツの銀行団が満州に投資を拡大し多大なる利益を得つつある事を睨んで、政府方針とは別に日本の外債引受に参加した。
 この年、農村部は明治期で最大の凶作に襲われ、貧しい小規模自作農家は生活苦から田畑を売却して小作農に転落した。
 それでも生活ができなくなった農民達は、低所得の都市労働者に身を落とすか、アメリカのハワイや西海岸、中南米満州へと移住した。
 世界情勢は、イギリス、フランス、ロシア帝国によるドイツ帝国包囲網が完成しつつあった。
 アメリカは、カリブ海の支配をイギリスに求めさせるべく、ドイツ包囲網に参加した。
 欧米列強の関心は、日本による満州開発ではなくバルカン半島問題に移っていた。
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 装甲の厚い戦艦は砲撃では撃沈されないというのが、世界の軍事常識であった。
 だが。日本海軍は、その世界常識を打ち砕き、世界最強のバルチック艦隊の戦艦群を撃破した。
 イギリス海軍の観戦武官ペケナムは、日本海軍の戦艦に負けない戦艦「ドレュドノート」を建造してこれまでの建艦思想を覆したが、なおも日本海軍の亡霊に怯えて超弩級戦艦を建造した。
 イギリス海軍は、如何なる軍艦の砲撃でも絶対撃沈できない無敵な巨大戦艦として、プリンス・オブ・ウェールズ号を完成させた。
 そして。戦艦は、航空機攻撃では撃沈できないという神話が生まれた。
 後に、日本海軍はその常識さえも打ち砕いた。
 日本は、幾つものの世界常識を打ち砕き、時代遅れの常識として歴史の彼方に葬り去った。 
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 1906(明治39)年3月 明治天皇は、国際経済を支配しているユダヤ人国際金融資本との関係強化を図る為に、来日したジェイコブ・シフ夫妻を午餐会に招待した。
 天皇は、日露戦争の勝利に貢献した事に感謝し、その栄誉を称える為に、シフに勲一等瑞宝章に続いて旭日大綬章を授与した。
 シフは、日本に一ヶ月以上滞在して、その間に朝鮮から満州・大連を旅行し、日本と満州の政治・経済など多方面にわたる報告書をロンドンのロスチャイルドに送った。
 ネーション誌「国際金融家は、時として、政府によって任命された大使よりも外交使節としてはるかに重要な事があるものだ」(1927年12月14号)  
 財閥化した隠れユダヤ人達は、表向きは、急増する東方ユダヤ人移民の救済と地位向上に貢献する為にアメリカ・ユダヤ人協会を設立させたが、裏では彼らを下層階層として衛生環境の悪い下町に押し込め、安い賃金で重労働を強制した。
 上流階層となったユダヤ人資産家は、非ユダヤ人が持っているユダヤ人への憎悪を新たな東方ユダヤ人に向けさせた。
 労働者である一般市民も、日常の鬱憤を、支配階層の一員となったユダヤ人資本家ではなく、身近にいる中流以下の非力な東方ユダヤ人に向けた。
 アメリカ・ユダヤ人協会は、差別され迫害を受けている同胞を弁護したが、国民世論の反ユダヤ主義に対して面と向かって抗議しなかった。
 アメリカは、日本以上の越えがたい格差社会である。 
 4月18日 サンフランシスコ大地震。日本政府は、農村救済等で財政が苦しかったが、国家予算約5億円から50万円を義捐金としてサンフランシスコ市に、5万円を同市の在留邦人(約6,000人)に見舞金として送った。
 9月 高橋是清日銀副総裁は、外貨募集の為にロンドンに向かう途中でニューヨークのハリマンと会見した。
 ハリマン「自分は責任を免れて肩が軽くなった事を感ずるが、今日より10年の内に、日本政府は満州鉄道の経営に付いてアメリカ人と共同しなかった事を後悔する時があるだろう」
 セオドア・ルーズベルト「極めて重大且つ恒久的な意義のある外交政策上の一件が……日米の関係である。……私は戦争が生ずるだろうとは信じていないが、戦争が生ずるだろうチャンスはつねにあり、若しそれが生ずるならばその慘害は極めて大であろう。私は我々が勝つとは信ずるものの少なくとも凶事が起こるチャンスはあるのだ」(フィランダー・ノックス国務長官への書簡)
 10月11日 サンフランシスコ市教育委員会は、人種差別的に被災地の日本人児童約100名を白人児童から隔離する事を決定した。
 カリフォルニア州議会は、日本との関係悪化を憂慮した連邦政府の自粛勧告を無視して、州内に居住する日本人移民を隔離する法案を可決した。
 日本人排斥運動は、他の州にも広がり、隣国カナダでも起きていた。
 オスマン・トルコ帝国は、ロシア帝国の侵略に対抗する為にトルコ系イスラム教徒が住む中央アジアから中国にかけて宣伝工作員を派遣した。
 特に、日露戦争で大軍のロシア軍を少数兵力で撃退した、非白人国家日本に好意の目を向けて急接近した。
 06年頃、「天皇イスラム教に改宗し、日本政府はイスラム教を国教となる宣言をする」という報道が全世界に発信され、イスラム教徒は熱狂し、キリスト教会は恐怖におののいた。
 祖先神信仰と郷土愛・愛国心と道理有る謙遜を基本原理とする多神教神道を信奉する天皇主義者は、その曖昧で融通無碍な信仰心から宗教的寛容さを示して改宗話、国教化話にめくじら立てる事なく苦笑した。
 09年12月6日 軍部と国粋主義者は、東京でイスラム世界との同盟を目指した亜細亜議会を発足させ、「回教の誓い」を行い日本とイスラム運命共同体である事を確認し合った。  
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 1906年 セオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞を受賞した。
 「権利の為に進んで戦いを挑む事は、世界中の人々が行う事のできる最も崇高なスポーツである」
 ルーズベルトは、国家は先制攻撃・奇襲攻撃を含めて戦争を始める権利がある事を認めた。
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 1907(明治40)年 アメリカで金融恐慌が起きて、数百万人が一夜にして無一文となり多額のローンを抱えて自殺した。
 不況は、アメリカに移住したユダヤ人移民にも深刻な打撃を与えた。家内工業的下請け業や小製造業が主流のユダヤ人産業界も、不況の煽りを受けて大量の解雇を行った。
 失業者には何ら保証がない為に、寒空の下で飢えに耐え賃金を得る為に仕事を求めた。自暴自棄となって食糧を略奪したり、強盗や窃盗したりの犯罪に走る者もいた。
 ユダヤ人行商人や悪徳商人らは、盗品とわかっていながら安く買いたたいて仕入れて、売り飛ばして利益を得ていた。
 どうしても仕事が得られない若い女性は、家族の為に娼婦となって体を売って食糧を手に入れた。
 不況の中に移住してきた新たな移民は、生きる為に妻や娘を売春業者に売り、子供達は食う為にスリや商品窃盗などの犯罪を繰り返していた。
 若いユダヤ人女性は家族を養う為に売春で金を稼いだが、同時に性病も蔓延し、精神異常や精神薄弱の子供が多く誕生した羞恥心を捨てきれなかった者や前途に失望した者の自殺者が、増加して社会問題となった。
 モーリス・フィッシュバーグ「きわめて、しばしばユダヤ人の自殺を聞く」
 東方系ユダヤ人は、公私の別なく各種の非ユダヤ人組織からの援助が期待できなかっただけに、伝統に根ざした民族的共同体としての「家族的絆」に頼らなければ生き残れなかった。
 有産階級となっていたアメリカ系ユダヤ人らは、貧困に喘ぐ無産階級のユダヤ人を救済する為に私財を投じて博愛団体を設立し、多くの病院や慈善施設を設置して彼等の言葉がわかるユダヤ人の医師、看護婦、弁護士などを派遣した。
 失業者には雇用を見付ける為に、各種の工業技術訓練学校を設立して優秀な教師や技術者を送り込んだ。
 学校は、アメリカで生きる子供達に集中的に英語を教え、昼間は仕事をしている大人には夜に英語やアメリカ史や英米文学などを教えた。
 リー・フランケ「『貧者は、貧者を助ける』というのは古いが正しい諺である。ニューヨークにおけるほどこの事が力強く例証されている所はない」
 不況下で犯罪が多発していた非ユダヤ人居住区では、行政の怠慢でゴミや汚物が回収されず放置されていた。
 病人が増大するという不衛生な居住環境の改善がいっこうに進まず、人々は鬱憤をユダヤ人ではらすべく暴行事件を起こした。反ユダヤ主義者に煽動された貧困階層の市民達は、路上でユダヤ人を見付けるや女子供に関係なく襲撃して怪我をさせた。
 ユダヤ人ギャング団や自警団は、反撃して同胞を暴力には暴力で対抗して助けた。人種主義者によるユダヤ人いじめは、市内各所で日常茶飯事的に行われていた。
 英露協商。イギリスは、植民地インドを確保する為に、ロシアへの緩衝地帯とすう為にアフガニスタンを中立として、イラン北部をロシアの勢力圏とし、同南部をイギリスが取った。
 ロシア帝国は、アジアへの領土拡大が不可能となった。
イギリスは、ドイツ帝国を包囲する為の外交交渉を展開していた。
 1月1日 クロウ覚書。
 6月 ハーグで開催された万国平和会議は、日本の宣戦布告抜き先制攻撃を卑怯な行為と非難して、ハーグ陸戦協定に宣戦布告抜きの開戦を禁止する条項を盛り込んだ。
 小国が、大国に対して自衛戦争を起こす時でも、不意打ち・騙し討ちなどの奇襲攻撃は認めず、宣戦布告を行ってから戦争を発動すべきであると定めた。
 ハーグ陸戦法規(陸上戦闘に関する法と慣習)は、軍服を着用せず一般人に紛れ込んでいる敵兵(便衣隊)や正規の指揮官がいない戦闘集団の戦闘員を戦争捕虜とは認めず、発見しだい処刑する事を認めた。
 国際法上で是認された戦争では、民間人に紛れてテロやゲリラやスパイ行為などを行う敵国人は正規兵とみなさず、戦時であれば長時間の審理を必要とする軍法会議を簡略化し、戦場であればその場の指揮官の独断で相手の言い分を聞く事なく処刑する事を合法とした。
 朝鮮国王高宗は、万国平和会議に3名の密使を送って日本の横暴を告発した。
 朝鮮は、列強を利用して日本を牽制し、あわよくば日本と欧米列強を戦わせて日本を滅ぼそうとした。
 伊藤博文は、戦争する勇気もなく、コソコソと陰謀を巡らす朝鮮に激怒した。「かくの如き陰険なる手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるは捷径(早道)なるにしかず」
 日本は、対抗処置として、韓国政府に圧力をかけて韓国軍を解散させた。職を失った元兵士は義兵運動に参加して、半島に生活する日本人移民を襲い死傷させた。
 日本軍部は、韓国内の日本人居留民を保護する事を名目として派兵し、韓国政府にかわって放火や略奪を行う暴徒を武力で鎮圧した。
 反日朝鮮人活動家は、反天皇派日本人やキリスト教会の支援を受けて日本に潜入した。  
 7月 小村外相は、ロシア帝国のイズヴォルスキー外相と第一回日露協約を締結し、北東アジアの勢力範囲を確定さ、満州への他国(特にアメリカ)を参入させない事を確認した。
 日本は、自力で満鉄経営を行う為に、ロンドン市場で第一回政府保証5分利付英貨満鉄社債400万ポンドを発行した。
 これ以降、満鉄は開発資金を調達する為にロンドン市場で社債を発行し、イギリス銀行団はそれを引き受けて協力した。
 イギリスは、満蒙を中国の勢力範囲外との立場をとり、日本の満蒙経営を承認していた。
 アメリカは、満蒙を中国の一部と見なして、日本が主張する特殊権益を認めなかった。
 門戸開放政策から、日本が満州を独占する事には反対し、ニューヨーク市場を満鉄の資金調達に開放する事を拒否した。
 アメリカ世論も、中国同情論が主流で、日本の言い分は根拠がない非常識として対日強硬政策を支持していた。
 9月 カナダ・バンクーバー反日暴動が起きた。アメリカ人活動家に煽動された市長ら3万人以上の群衆が、日系人を襲い、59戸の民家や商店を打ち壊し、商品や家具を略奪し、数百人の日本人移民を負傷させた。
 10月 清国は、全満州における主権を回復させる為に日露両国の鉄道支配を切り崩すべく、新しい鉄道網として新法鉄道を建設する為にイギリスのポーリング商会と契約を交わした。
 日本は、05年12月の満州に関する日清条約附属取極に違反するとして清国に対して抗議し、鉄道建設契約を破棄させた。
 ポーリング商会は、満州鉄道と並行して北上する錦州から愛琿にいたる錦愛鉄道建設を日本に打診した。
 日本は国際協調から参加を表明したが、清国は仮想敵国日本の満州進出を嫌い参加を拒否した。
 アメリカの奉天総領事ストレートは、ハリマンに満鉄に対する並行線建設を打診した。
 ハリマンは、ナショナル・シティ銀行やクーン・ローブ商会などから多額の資金を得て満州進出を狙っていた。
 ストレートは、ハリマンの女婿であった。
 ハリマンは、フランス人代理人を通じてロシア帝国の大蔵省に東清鉄道の売却を打診した。
 永年の夢である世界一周鉄道網計画の為に、北京からゴビ砂漠を通りモンゴルを縦断する新たな鉄道を建設し、シベリア横断鉄道に接続するという代案を検討していた。
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 1908(明治41)年 ストレートは、クーン・ローズ商会から2,000万ドルの資金を得て、奉天巡撫の唐紹儀と満州中央銀行の設立と鉄道建設などの仮契約を結んだ。
 日本で、赤旗事件が起きた。
 政府は、堂々と赤旗を掲げ過激な革命歌を唱いながら行進する社会主義者の一団に危機感を募らせ、その行進を阻止する為に警官隊を突入させ抵抗する社会主義者多数を検挙した。
 警備当局は、反体制派の共産主義社会主義を警戒し、昨年解散を命じた日本社会党片山潜堺利彦ら)の残党の動きを警戒し、幸徳秋水ら急進派無政府主義運動家らを監視した。
 当局は、天皇と皇室を守る為に、流血革命を起こそうとしている共産主義勢力を弾圧した。
 ヘンリー・フォードは、生産ラインにおけるオートメーション化で規格大量生産を始めた。
 技術進歩によって、大量化・大型化・高速化の時代となった。


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