🗽8」─1─産業革命は、資本的余剰、時間的余裕、子どもの科学的好奇心と愛国心教育で成功した。1760年代。~No.28No.29No.30 @ ④ 

産業革命 (世界史リブレット)

産業革命 (世界史リブレット)

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 産業革命は、1760年代のイギリスに始まり、1830年以降に欧州諸国に波及した。
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 2017年8月29日号 エコノミスト「技術革新 余剰と余裕でイノベーション 農業革命が引き起こした産業革命  米倉誠一郎
 社会・経済に大きなインパクトを与えるようなイノベーションの前提には『余剰』や『余裕』が必要だ。

 産業革命が起こったメカニズム
 農業革命で生産性が向上
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 食料の生産余剰と時間的余裕が生まれる
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 家庭の蔵書量が増え、労働力だった『子供』の教育制度が整う
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 一般大衆の知識レベルが格段に向上
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 産業革命」 

 人類に飛躍的な発展をもたらしたのは、18世紀中ごろに始まった産業革命であった。産業革命が別名『動力革命』と呼ばれるように、その直接の起爆剤となったのはジェームズ・ワットが実用化した蒸気機関であった。しかし、この種の大変革をもたらす革命は、単純に一つや二つの技術によって生起するようなものではない。その前提となる基礎的な知識や周辺技術の発展、さらに社会的な余剰や余裕が存在しなければ起こらないのである。
 子供の解放
 その意味で産業革命をもたらした前提には、イギリスやヨーロッパで起きた大航海時代の農業革命や商業革命の存在が重要である。この革命によって食糧生産性は飛躍的に上昇。そこに生まれた生産余剰によって人口や貿易量が急増し、産業労働者の予備軍や交易知識に対する欲求が生まれた。しかしより重要なのは、この余剰によってそれまで大人の労働を補完する〝小さな大人〟に過ぎなかった若年層に、まさに『子供』という概念が誕生したことである。
 すなわち、生産性向上によって生産余剰と時間的余裕が生まれることによって、大人になる前に子供に教育する余裕が生まれ、初等学校制度の前提が整ったのである。また、この余剰は家庭における蔵書量を増加させた。中世社会に比べて、18世紀中葉の一般大衆における知識レベルが格段に向上していたことが、産業革命の土壌を形成していたのである。
 さらに、イギリスでは『科学者たちは研究室から出て、工場の中の技術者と交流するようになり、そこで新しい手法を求め、それをすぐにでも実現しようとする新しい発想が積極的にわき上がっていた』(L・T・C・ロルト『工作機械の歴史』)と指摘されるように、大学などにおける新しい知識が広く普及するような状況にあったのである。
 また、19世紀初頭にイギリスを代表する大紡績企業を経営することになったジョン・ケネディは、職工時代に有名な科学者ジョン・バンクスがマンチェスターにやってくることを知ると、友人とお金を出し合って彼の講演会を聞きに行ったと回想している。科学的知識が一般庶民にも興奮をもって伝えられていたという証しである。こうした社会全体における余剰、余裕、知識の向上が産業革命の前提だったのである。
 高給政策で自動車拡販
 産業革命に匹敵するインパクトがあったのが、輸送手段としての自動車の出現であった。電気の導入や重化学工業をベースにした第2次産業革命の中に埋没しがちな自動車産業だが、社会経済に与えた影響は鉄道以上のものがあったといえる。
 中でも、20世紀の生産システムをリードし、自動車という耐久消費財を一般庶民にまで手の届くものにしたヘンリー・フォードの功績を過小評価することはできない。それは、フォードがあの画期的大衆車『T型フォード』をつくったからではない。彼がまさに『自動車の時代』をつくったからである。
 フォードは、1863年に米ミシガン州の比較的裕福な農家に生まれた機械いじりの好きな青年だった。彼が農村生活に見切りをつけたのは、ニコラス・オットーとゴットリープ・ダイムラーが開発したガソリン・エンジンに91年に出会ったことによる。この内燃機関に衝撃を受けたフォードは、自分でも自動車をつくることを決心したのであった。
 フォードの本気度は、内燃機関に必要となる電気系統の知識を得るために、トーマス・エジソン電灯社に就職したことからも明らかである。さらに、フォードがイノベーティブ(革新的)であったのは、当時の自動車製造者の多くが大型馬車を自動車につくり替えようとしていたのに対し、彼は2台の自動車を並列させるようなシンプルな構造を追求し、大衆車の完成を目指したことである。
 大衆車である以上は庶民に手が届く価格設定が必要であった。それを可能としたのが、ベルトコンベヤー方式による大量生産である。この画期的デザインと生産システムによって、1908年に800ドルであったツーリングモデルの価格は、13年に550ドル、16年に360ドルと半額以下になった。確かに、この大量生産・大量販売を可能にする低価格はフォーディズムの原点である。しかし、フォードが真のイノベーターであった理由は、T型モデルをつくっただけでなく、購買層を同時につくったことである。
 フォードは14年、当時の平均日給が2.4ドルだった段階で、従業員に対して8時間労働で日給5ドルを支払った。この高給政策に対して『ウォール・ストリート・ジャーナル』は『自殺行為』と非難したが、フォードは公然と『私の従業員は私の自動車をつくるのではない。私の車を買うのだ』と言い放った。フォードは素晴らしい大衆車を安価で製造しただけでなく、従業員に世界で最も高い給料を支払うことによって、彼らを自動車の購買者にしたのである。
 余剰、余裕のない日本
 産業革命とフォードの二つの事例は、現在の日本経済の成長を考える上で大きな意味をもつ。
 日本の国内総生産(GDP)はこの20年間ほとんど成長を遂げていない一方で、米国、ドイツ、韓国、フランスなどは50%から倍以上の成長を遂げている。異次元といわれる金融緩和やマイナス金利を導入しても、日本の消費は一向に伸びてこないのはなぜだろう。
 さらに、世界はICT(情報通信技術)やAI(人工知能)を駆使した第四次産業革命に突入し、金融とICTが融合した『フィンテック』も想像以上の進化を遂げている。しかし、こうした新しい成長や最先端イノベーションの動向から日本だけが取り残されているのはなぜか。
 さまざまな理由が挙げられようが、ここで指摘したいのは日本における余剰と余裕のなさである。失われた20年の間、経済成長の鈍化とともに日本人の生活環境は悪化し、そこに成熟社会に生まれるべき時間的余裕はむしろ削減されている。国際労働機関(ILO)の推計によると、残念ながら、2015年度の日本人1人当たりの生産性は世界で36位である。これは、10位の米国、17位のフランス、18位のイタリアに比べてあまりにも低い。これでは、時間的余裕など生まれるわけもない。
 さらに、日本企業(金融・保険を除く)は内部保留を378兆円近くまでため込み、設備投資はもちろん従業員への還元にも慎重である。これでは、生産性向上のためのICT投資も進まず、一般大衆の消費も伸びるわけがない。
 日本がイノベーションあふれる国になるには、労働生産性を上げる設備投資と働き方改革を推進し、その結果生まれる余剰を社員に還元すると同時に、国民、特に子供たちに時間的余裕を生み出し、社会全体に知的好奇心をみなぎらせることが重要なのである。小手先のイノベーション政策などやめ、精神的にも物質的にも豊かな国づくりをすることが先決なのである」
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 日本の銀行とは、系列企業や友好企業など血縁・地縁の縁故融資を行うが、顔見知りでないと将来有望な技術力を持ったベンチャー企業でも決して融資しない。
 経営が苦しくなると、国際的な特殊技術を持っていようと親密度の濃淡で対応がかわり、相手が倒産する危険性があろうとも融資の貸し?がしや再投資の貸し渋りを行う。
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 日本の銀行の本質は、超保守的な血縁・地縁の縁故融資銀行であって、縁も所縁もないベンチャー企業を育てる投資融資銀行ではない。
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 欧米の銀行は倒産・廃業が多いが、日本を銀行は倒産・廃業が少ないのはその為である。
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 日本の銀行の経営における大原則は倒産・廃業を回避する事であるため、社運を懸けてベンチャー企業に巨額の投資を行い大企業へと育てて大金を稼ごうとはしない。
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 日本にはフロンティア・スピリットがない為に、「ゼロから1を」或いは「多を潰してゼロから1を」生み出すという創造的ベンチャー企業を倒産・廃業覚悟で資金支援する銀行は少ない。
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 日本民族日本人にはゼロから始めるというフロンティア・スピリットは無く、持てと言われても馴染まない為に持てないのが現実である。
 何故、日本民族日本人にフロンティア・スピリットがないか、それは日本列島の豊かな自然にある。
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 日本民族日本人から闘争本能や変革願望を奪ったのは、精を出せばそれなりの生活ができる豊かな自然である。
 豊かな自然は、日本民族日本人に勤勉・勤労の貴さと強欲・我欲の愚かさを教え、我欲・私見を消し自分を静かに見つめる内観を促したが、他と区別し切り離し自立・独立する個を与えなかった。
 豊かな自然があった為に、日本には哲学も思想も主義主張も生まれなかった。
 それ故に、日本列島には、中国大陸や朝鮮半島のような血生臭さはなく、欧州やその他の大陸のような大虐殺は存在しない。


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