🐉17」18」─1─鄧小平と天安門虐殺事件。江沢民と反日教育。~No.59No.60No.61No.62No.63No.64 @ ⑬ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 1982年 中国共産党は、イスラム圏とマルクス主義を信奉する社会主義独立国に対して核と弾道ミサイル技術を拡散する事を決定した。
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天安門事件
 武装警察や人民解放軍は、民主化運動に参加している学生のうち党幹部や政府高官の子弟達を保護し、武力鎮圧として一般学生や市民を容赦なく殺した。
 中国共産党のエリートは、本人はもちろんその家族も特権故に超法規的に保護されている。
 中国人民は、中国共産党に徹底的に搾取され、貧困の中で最低限の生活のみ認められている。
 1989年6月3日 中国共産党政府は、中国軍に対して、天安広場を占拠している学生や市民らを鎮圧するように命じた。
 中国軍は、丸腰の一般人に容赦なく発砲し、戦車や装甲車を突入させて轢き殺した。
 多くの市民が、中国軍に虐殺された。
 犠牲者数は数千人と言われるが、実際にはもっと多いとされ、その実数は不明である。
 中国軍は、中国共産党の利益を守る党直属の武装集団であって人民を守る為の軍隊ではない。
 日本の左翼や左派のマルクス主義者は、中国軍の虐殺を抗議せず、無視するか、正当性を主張して擁護した。
 天安門事件以降、中国共産党批判や中国政府への不満をそらす為に、人民を愛国者に育てるべく愛国教育を強化し、人民の敵は日本であると誘導した。
 そして、愛国無罪として反日運動を奨励した。
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 ジョージ・ブッシュ大統領は、デタント派として、側近のブレント・スコウクロフト(国家安全保障担当大統領補佐官)やローレンス・イーグルバーガー(国務副長官)を密かに送り、宥和的メッセージを訒小平に伝えた。
 「議会の圧力で制裁をしているが、できるだけ早く制裁を解除したいと思っている。日本にもそう働きかけている」
 ブッシュ大統領は、国内外の批判を避ける為に、中国共産党政府を国際復帰させる露払いとして日本を利用した。
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 中国共産党政府を世界へ復帰させたのは、日本であった。
 日本のお陰で、中国共産党政府は世界での信用を取り戻した。、
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 日本が独立国として生き残る道は、アメリカとの同盟関係である。
 白人の支援を得て、中国共産党と対峙する。
 日本の選択は、中国共産党ではなく、欧米諸国の白人しか他にはない。
 日本の真の敵は、白人・欧米諸国ではなく、目の前に居る中国共産党である。
 其れは、日本の歴史が示している。
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 江沢民は、天安門事件中国共産党への神話が崩壊した為に、新たに民心を掌握する手段として経済援助をしてくれている日本を標的に定め、反日教育で日本を中華民族の共通の敵と徹底的に教えた。
 中国における反日運動は、中国共産党が生き残る為に最後の手段であった。
 中国共産党は、日本からのヒト・モノ・カネの支援で急速な経済発展でいたが、その恩を踏みにじって敵日に近い反日運動を行った。
 中国共産党反日教育に協力する反天皇反日的日本人達。
 金儲けの為に目を瞑り、中国共産党詣でをする親中国派達。
 彼らによって、天皇皇后両陛下は政治利用され、日本皇室の名誉と尊厳が傷付けられた。
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 2016年6月2日 産経ニュース「【天安門事件から27年】人民解放軍の戦車に両足を踏みつぶされた民主活動家、方政氏 「天安門事件ユネスコ記憶遺産に」
 天安門事件や現在の中国の人権状況について語る方政氏5月、都内(伴龍二撮影)
 中国人民解放軍が学生らによる民主化運動を武力弾圧した1989年6月の天安門事件から、4日で27年を迎える。事件当日、天安門広場付近で戦車にひかれて両足を失い、現在は米国で天安門事件の国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への登録などに取り組む民主活動家の方政氏(49)がこのほど初めて来日した。当時の中国の学生たちが運動にかけた思いや現在の中国の人権状況について聞いた。(原川貴郎)
 −−習近平体制下の中国の人権状況をどうみているか
 「中国の人権状況は間違いなく退歩し続けている。人権派弁護士の一斉検挙や、高瑜氏のような改革派ジャーナリストに対する逮捕や重い判決などは、習近平が人権を厳しく抑圧していることを示している。中国の自由空間はさらに狭まっており、香港も例外ではない。香港の言論の自由も脅威にさらされている」
 −−香港では、天安門事件の犠牲者の遺品などを展示する「六四(天安門事件)記念館」が閉館されるという
 「香港は事件当時もそうだが、その後も中国の民主化に、非常に大きな役割を果たしてきた。だから、中国共産党は香港を特に重視し、あらゆる手を尽くして香港の自由な制度を壊そうとしている。香港は中国の民主化の最前線であり、灯台だ。毎年香港で行われる六四の記念行事の規模は非常に大きいし、香港の自由な環境と政治的な影響は、中国本土から訪れる数千万人規模の観光客を通じ、本土にフィードバックされる」
 「ゆえにこの2年あまり、中国共産党は、メディアの再編成などを通じ、香港世論の自由を圧迫している。(中国共産党体制を批判する書籍を出版、販売する)香港の銅鑼湾書店関係者の拘束・脅迫などもあって、香港はどんどん萎縮している。香港の若者たちは『一国二制度』にいよいよ懐疑的になっており、中国共産党のコントロールと干渉から脱却する必要があると考えている」
 −−香港の旧宗主国である英国も、中国の人権問題を脇に置いて、経済関係を最優先させているようだ
 「中国と商売し、中国から経済的利益を得るため、人権問題を放置する。中国という経済大国に対して、多くの西側諸国が採用している方式だ。われわれはこうした状態に失望しているし、早く改善してもらいたい。もちろん、各国政府の事情もあるだろうが、他方で民間の市民団体は、こうした状況を補うことができる。現在、われわれは六四のユネスコ記憶遺産登録を目指している」
 −−目的は
 「ひとつには中国を含む全世界がこの歴史を記憶できるようにするため。今ひとつには中国政府に譲歩を迫り、市民やわれわれのような者が、真相を直ちに集められるようにするためだ。事件から27年がたっても、中国政府はこの問題について語ることを許さず、真相を覆い隠し、情報を封鎖している。ならば、われわれはまったく逆のことをする。ユネスコを通じ、世界にこのことを理解してもらう
 「私の友人で、天安門に集まった学生でもある於世文氏は2年前、事件を記念する活動をしたために、当局にとらえられた。監獄ではずっと不公正な扱いを受けていて、体の具合がよくない。その彼が4月27日から、6月4日までハンガーストライキを始めた。だが、6月4日まで持たないのではないかと心配している。生命が非常に危険な状態だ。彼は命をとして闘っている。六四はわれわれにとって、歴史ではなく、いまなお続いているのだ」
 −−27年前、北京の天安門広場に集まった学生たちは何を訴え、何を求めていたのか
 「簡単にいえば、より多くの自由を求めていた。当時の社会には多くの問題があった。腐敗や汚職役人、特権的な官僚が金もうけをする状況を正さなければならないと思ったし、報道の自由も要求した」
 −−共産党政権を倒そうとしたわけではない?
 「1980年代、中国の改革開放はまだ始まったばかりで、大部分の学生は、改革に大きな希望を抱いていた。中国共産党自身の改革によって、初歩的な民主と自由が実現し、中国はよくなると考えていた。中国共産党を転覆させようなどとは当然、思っていなかった。だが、今日、誰もそうした幻想は抱いていない。中国共産党の統治を終わらせて初めて、中国に新たな民主と自由が生まれる。官僚の資産公開、反腐敗、報道の自由。27年前にわれわれが要求したものは、今日の中国でも実現していない」
−−米国や日本のような民主主義がすぐに中国に根付くとは考えにくい。中国にはどのような「民主化」が望ましいと考えるのか
 「中国にとって民主化は非常に難しいプロセスだ。われわれ海外で中国に関心を寄せている者も、ずっとその道を模索してきた。第一歩は自由だと思う。報道の自由言論の自由、個人の基本的な人権、結社の自由。これらが法的に保障されてはじめて、成熟した民主状態へと徐々に、徐々に発展していくだろう。現在の中国ではインターネット上で多くの言葉が遮断される。民主社会とはほど遠い。まずこうした分野での自由、通信の自由が必要だ」
 −−中国が、天安門事件など自国の歴史は隠し、日本に「歴史を直視せよ」と迫ることをどう思うか
 「それは共産党政権の恥知らずの一面だ。彼ら自身の歴史上の多くの罪行には蓋をして、誰にも理解させようとしない。六四のみならず、それ以前のものもだ。政権は新聞、メディアのほか、教科書までコントロールしているが、そこに書かれた歴史は嘘ばかりだ。だから、ユネスコの記憶遺産に登録して、事件を人々に記憶させないといけない。こうした方法で少しずつ状況を変えていくしかない」(※取材は5月中旬)
 方政(ほう・せい)氏
 1966年生まれ。中国安徽省出身。北京体育学院卒業直後の1989年6月4日朝、天安門広場付近で人民解放軍の戦車にひかれ両足を失い、22歳で車いすでの生活を余儀なくされた。2009年に渡米。米国の大学などで学生に天安門事件について語るなど、中国の民主化や人権状況の改善を訴えている。」
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 6月4日 産経ニュース「【天安門事件から27年】高齢の関係者ら軟禁や地方隔離に… 遺族声明「亡くなった魂への冒涜、生存者への侮辱」
 2日、北京の天安門広場を訪れた人々(AP)
 【北京=西見由章】中国で民主化を求める大学生らが武力弾圧された1989年の天安門事件から、4日で27年。中国共産党は現在も事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置付け、犠牲者の遺族らが求める真相の究明と責任追及には応じていない。7月1日に党創設95周年を控える習近平政権は、高齢化が進む遺族や関係者の軟禁、地方への隔離といった締め付けを強化している。
 中国外務省の華春瑩報道官は3日、事件について「政府はすでに結論を出している」と述べ、事件の再評価を行う考えがないことを改めて強調した。
 事件で子供を亡くした親の会「天安門の母」は1日付で声明を発表し、メンバーのうち創設者の丁子霖さん(79)の夫、蒋培坤さん=当時(81)=ら41人がこれまでに亡くなったことに言及。「彼らがこの世を去るにあたって最も無念だったのは、正義が広がり無実の罪が晴らされる日をみられなかったことだ」と怒りをつづった。
 声明はさらに、監視や尾行、脅しといった遺族への圧力について「政府による恐怖と窒息の27年間だった」と表現し、「亡くなった魂への冒涜(ぼうとく)であり、生存者への侮辱だ」と訴えた。
 改革派ジャーナリストの高瑜氏(72)がツイッターで明かしたところでは、丁さんは1日以降、自宅で警察の監視下に置かれ、電話も止められた。警察と息子、救急車を呼ぶ番号の3つの連絡先だけが入った携帯電話を警察側から渡されたという。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA、電子版)によると、高氏自身も警察から北京を離れて山東省に“旅行”するよう指示された。
 香港では4日夜、民主派団体が犠牲者の追悼集会や中国の民主化を求めるデモを行う。
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 2017年12月22日 msnニュース AFPBB News「「天安門事件の死者は1万人」 英公文書を公開
 AFP=時事】1989年に中国の首都・北京の天安門広場(Tiananmen Square)で民主化運動が軍によって武力弾圧された「天安門事件」の死者が、少なくとも1万人に上るとする英国の公文書が新たに公開された。
 公開されたのは英国の外交機密電報で、陰惨な天安門事件の詳細をつづっている。天安門事件から28年以上を経て公にされた電報をAFPが英国立公文書館で確認した。」
 当時の英駐中国大使アラン・ドナルド(Alan Donald)氏は本国政府への電報で「最低に見積もっても一般市民の死者は1万人」と報告している。
 当時、一般的に報じられた死者数は数百人から1,000人余りで、弾圧が起きた翌日の6月5日に出された同氏の推定は、広く受け入れられていたその人数のほぼ10倍となっている。
 フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン(Jean-Pierre Cabestan)氏は、最近機密解除された米国の文書も類似した死者数を割り出しており、当時の英大使によるこの推定値には信ぴょう性があると述べている。【翻訳編集】AFPBB News
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 12月25日 産経ニュース「英、死者千〜3千人と推定 天安門事件の公文書公開
 23日付の香港紙、明報は、中国当局が学生らの民主化運動を武力弾圧した1989年6月の天安門事件で、英国の研究部門が北京での死者数は千〜3千人と見積もっていたと報じた。機密解除された89年の英公文書の内容として伝えた。
 また、英国の駐中国大使が中国国務院(政府)筋の情報として本国に伝えた文書によると、事件の鎮圧は4段階の作戦で行われ、武器での威嚇など最初の3段階が失敗したため、最終的に山西省から来た人民解放軍の27軍の装甲車が出動、武力鎮圧した。27軍の兵士は6割が非識字者で、演習参加のため天安門に行くと伝えられていたという。
 文書には「少なくとも推定1万人の市民が死亡」との記述もあったが、時間や場所は明示されていないとしている。
 中国当局天安門事件の死者数を319人としているが、正確な人数は不明。(共同)」
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 2018年6月4日13:03 産経ニュース「中国でNHKニュース中断 「天安門事件から29年」報じた際、画面が突然真っ黒に
 事件から29年を迎えた、北京の天安門広場=4日(共同)
 中国で4日、発生から29年となった天安門事件についてNHK海外放送がニュース番組で報じた際、画面が突然真っ黒になって放映が中断された。
 ニュースは発生当時の様子を伝える映像や、事件で子どもを亡くした親の会「天安門の母」の活動を紹介する内容だった。(共同)」
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 6月4日18:32 産経ニュース「「不幸な事件、民主主義への礎に」台湾・蔡総統、天安門29年で呼びかけ 
 台湾の蔡英文総統(AP)
 【台北=田中靖人】台湾の蔡英文総統は天安門事件から29年の4日、フェイスブックに「中国人民」に向けた一文を投稿、「北京当局が事件を正視できれば、不幸な歴史は中国が自由と民主主義に向かう礎となるだろう」と述べた。
 投稿は中国で用いる簡体字で書かれ、台湾当局が過去の人権弾圧事件の真相究明や補償に取り組んできたことなどを紹介した。
 一方、与党、民主進歩党は4日の声明で、中国当局は「強力な手段で人民の自由と権利を圧迫している」と指摘。中国が進める「中華民族の復興」は「普遍的な価値と人類の文明への挑戦だ」と批判した。
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 6月4日19:37 産経ニュース「米国務長官天安門の悲劇忘れない」 中国に人権尊重求める
 5月31日、米ニューヨークで記者会見するポンペオ米国務長官(ゲッティ=共同)
 【ワシントン=加納宏幸】ポンペオ米国務長官は3日、天安門事件から4日で29年となるのに合わせ、「私たちは罪のない人々の命が悲劇的に失われたことを忘れない」とする声明を発表し、人権を尊重するよう中国政府に求めた。
 声明は、天安門事件に関わった民主活動家、劉暁波氏が2010年にノーベル平和賞を受賞した際に代読された「私の最後の陳述」から「6月4日の霊は安らかに眠れていない」という言葉を引き、「国際社会とともに、中国政府に事件で殺害、拘束され、行方不明になった人々に関する完全な説明を求める」とした。
 民主化運動の象徴だった劉氏は昨年7月、服役中に死亡した。
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 6月4日19:38 産経ニュース「厳戒の天安門広場、産経記者の入場拒否 事件から29年、当局監視強化
 事件から29年を迎えた、北京の天安門広場=4日(共同)
 【北京=西見由章、台北=田中靖人】天安門事件から29年を迎えた4日、北京の天安門広場周辺では、追悼活動を阻止するために警察当局が厳戒態勢を敷いた。
 中国の警察当局は3日以降、天安門広場を訪れる観光客らに身分証の提示を要求。産経新聞の記者は4日、「不要な面倒を避けるため」などとして入場を拒否された。軍隊の発砲で多数の死傷者が出た地下鉄木●(=木へんに犀)地(もくせいち)駅周辺でも、私服警官が監視の目を光らせた。
 事件で銃弾を受けて左足を切断し、真相解明を求めている斉志勇氏(62)は先月、人工透析先の北京の病院で転倒し骨折、入院したが「病院内でも当局の監視がついている」と訴える。
 中国外務省の華春瑩報道官は4日の記者会見で、天安門事件に関して「前世紀80年代末に発生した政治風波(騒ぎ)について、中国政府はすでに明確な結論を出している」と従来の見解を繰り返した。
 台湾の蔡英文総統は4日、フェイスブックに「中国人民」に向けた一文を投稿、「北京当局が事件を正視できれば、不幸な歴史は中国が自由と民主主義に向かう礎となるだろう」と述べた。投稿は中国で用いる簡体字で書かれ、台湾当局が過去の人権弾圧事件の真相究明や補償に取り組んできたことなどを紹介した。
 一方、与党、民主進歩党は4日の声明で、中国当局は「強力な手段で人民の自由と権利を圧迫している」と指摘。中国が進める「中華民族の復興」は「普遍的な価値と人類の文明への挑戦だ」と批判した。」
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 6月4日22:38 産経ニュース「天安門事件29年、細る香港ろうそく集会 主催者「広範な支持を」
 天安門事件から29年となった4日夜、ろうそくをともして犠牲者を追悼する女性ら=香港のビクトリア公園(共同)
 【香港=藤本欣也】中国当局が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から29年を迎えた4日、一国二制度下の香港では恒例のろうそく集会が開催され、参加者が犠牲者を追悼し中国の民主化を求めた。香港では昨年7月に死去した中国民主活動家で、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏の像が設置されるなど、北京で軟禁されている妻、劉霞さんの解放を求める声が高まっている。
 天安門事件翌年の1990年から続く同集会には、劉暁波氏らが中国の民主化を求める「08憲章」を起草し拘束された2008年末の翌年に主催者発表で約15万人が参加。14年には過去最多の約18万人が参加したが、それをピークに年々減少し、昨年は約11万人と09年以降で最少となった。
 理由としては、14年9月から12月にかけて、学生たちが香港行政長官選挙の民主化を求めて繰り広げた「雨傘運動」の挫折が指摘される。学生たちが「中国の民主化よりも香港の民主化を優先すべきだ」と主張し、天安門事件関連行事への組織的な参加を見送っているためだ。
 今年も主要大学の学生会はろうそく集会への不参加を決定したが、集会の主催者である「香港市民愛国民主運動支援連合会」では、「来年の天安門事件30年に向けて広範に支持を呼びかけていきたい」と話す。
 こうした中、香港の繁華街に5月末、劉暁波氏の像が民主活動家らによって設置された。劉暁波氏死去1年の7月13日まで設置し、妻の劉霞さんの解放を求める運動を進める計画だ。
 劉暁波氏は1989年の中国での民主化運動の高まりを受けて留学先の米国から帰国、天安門広場に駆けつけた。劉霞さんは夫が獄中でノーベル平和賞を受賞した2010年以来、7年以上にわたり北京の自宅で軟禁されている。」
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 2019年8月号 WiLL「香港は中国共産党の番犬になり下がった 石平
 天安門事件から30年──中国の青年たちの敵は〝文明の敵〟へと巨大化。
 日本は自由主義国の自覚を胸に戦うべき
 青年たちの思い
 6月4日、青年たちの尊い生命が奪われた天安門事件から30年を迎えました。当時、大阪の総領事前でデモ活動を行い、母国の民主化を求め続けた一人として感慨深いものがあります。
 中国の青年たちは自らの生命を対価とし、国際社会に中国共産党政権の本質──権力保持のため、自国の若者でさえ簡単に殺戮してしまう残虐性、異常性を伝えたのです。
 日本を含む西側陣営は、青年たちの思いを真剣に受け止めたのでしょうか。私にはそうは思えません。天安門事件の直後は経済制裁を加えたものの、共産党政権を崩壊まで追い込むことはなかったのですから。
 特に日本は翌年、率先して制裁を解除し、ODA(政府開発援助)を再開しました。共産党政権に対して、『自由主義国も、他国の人権はどうでもいい。最後は見て見ぬフリをする』という確信を与えてしまったのです。その後、ほかの西側諸国も経済制裁を解除していきました。中国共産党の勝利──人権弾圧が許された瞬間でした。
 日本政府はその後、さらに大きな過ちを犯します。天安門事件から3年後、1992年に当時の天皇陛下を訪中させたことです。これによって、中国は国際社会へ復帰を果たしたのです。当時の外相である銭其琛(せんきしん)も回顧録『外交十記』の中で、『天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があった』と述べています。
 米国をはじめとする自由主義国は、中国も経済的に豊かになれば、いずれ民主化するだろう、同じ価値観を持つようになるはずだと、甘い幻想を抱き続けました。
 それから30年、幻想は打つ砕かれました。我々の期待は見事に裏切られ、共産党政権の強権化はむしろ強まるばかり。毛沢東時代へと逆戻りしたのです。天安門事件について、最近も魏鳳和(ぎほうわ)国務委員兼国防相は『(社会の安定を保った)正しい決定だった』と発言し、正当化しました。」
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モノ言う中国人 (集英社新書)

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