🔔52」─1─移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも。〜No.138No.139 

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 2024年3月8日 MicrosoftStartニュース Tom Fairless 「移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 世界各地で移民流入数が過去最高水準に達するなか、経済専門家の間では、一部の産業が外国人労働者に過度に依存し始めている可能性をめぐって議論が高まっている。
 多くの企業経営者によると、地域住民の高齢化が進み、労働人口が縮小するにつれ、低技能の外国人労働者によってそれを補うことが不可欠になってきたという。米中西部ウィスコンシン州の田舎で広さ4平方キロメートルの酪農場を運営するジョン・ローズナウ氏は、地元では働き手を見つけられないと話す。彼が頼りにするのは13人のメキシコ移民だ。その数は10年前の8~10人より増えている。そのおかげで他の同業者の一部が導入した搾乳ロボットに高額な投資をせずに済んでいるという。
 「本当に良い人材が来る」とローズナウ氏は言う。移民労働者であれば、「雇用を2倍に増やしたいとき、ほぼ確実に1週間以内に実現できる」
 だが経済専門家の一部は、移民労働者への依存が不健全な水準に近づいている地域があり、それが生産性の伸びを抑制し、労働力不足への持続可能な解決策を見つけようとする企業の努力を遅らせている、とみている。
 そうした解決策には、自動化に対する投資拡大や事業閉鎖のような抜本的な再編が含まれるだろう。それらは痛みを伴うが、長期的には必要になるかもしれない、と経済専門家らは指摘する。
 移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 © The Wall Street Journal 提供
 「産業がひとたび特定の方法で組織化され、その構造が雇用主に移民の採用を促すならば、極めて後戻りしにくい状況が生まれる」。イタリア・フィレンツェにある欧州大学院(EUI)移民政策センターのマーティン・ルース教授(移民学)はこう指摘する。「政策立案者は一部のケースでは、それが理にかなうのかを問うべきだ」。ルース氏は英政府に移民政策について助言する英国移民諮問委員会の元メンバーでもある。
 西側諸国は人口動態上の危機にひんしており、この議論は過熱しそうだ。先進国全体で生産年齢人口が第2次世界大戦後初めて縮小に向かっている。ドイツ保険大手アリアンツの最近の報告書によると、欧州連合EU)の生産年齢人口は2050年までに約20%減少するという。
 この傾向を食い止める手だてはある。例えば、労働者の退職年齢を先延ばしすることだ。だが、中南米やアフリカなど豊富な労働供給源があるため、外国人労働者を呼び込むのが最も容易な選択肢となることが多い。
 また移民流入は、米国や欧州のように保守派の反発に見舞われるとはいえ、人口増に寄与し、消費を拡大するため、経済成長にプラスの効果がある。
 現在、移民の数はカナダやドイツ、英国など主要な受け入れ国で新型コロナウイルス流行前の2~3倍の水準で推移している。米国の純移民流入数は昨年330万人に達した。2010年代は平均で約90万人だった。
 米国では農業労働者の4分の3、建設・鉱山労働者の3割を移民が占めている。主に富裕国で構成する経済協力開発機構OECD)によると、米労働者全体では2021年に移民が18%を占めた。その10年前は16%だった。
 英国は数十年前から移民抑制を約束しているものの、2020年にEUを離脱して以降、企業は人材確保に苦しみ、移民は急増している。公共医療を提供する国民保健サービス(NHS)の看護師のうち外国出身者は現在27%を超え、2013年の約14%から拡大した。ドイツでは、労働組合の推計によると、食肉処理場の労働者の約80%を移民が占めている。
 過度の依存が招く弊害
 低技能の外国人労働者への依存度が増すと、経済成長のスピードを決定づける生産性の伸びの阻害要因になりかねない。複数の経済調査がそれを示唆している。
 デンマークで行われた2022年の調査によると、移民労働者の受け入れが容易な企業はロボットへの投資が少なかった。オーストラリアとカナダで行われた調査では、移民労働者によって不振企業が生き延び、全体的な生産性を押し下げる可能性が示された。
 労働生産性の伸びはここ数年、先進国全体で頭打ちとなっている。米国と英国の農業分野では生産性が10年以上横ばいのままだ。より抑制的な移民政策をとる日本と韓国では、労働生産性が年1.5%程度伸びていることがOECDのデータから分かる。
 高齢化が進む国々の活力回復に役立つ移民受け入れと、過度の依存を避けることの間で、適切なバランスを見つけるのは難しい。外国人労働者に代わる明確な選択肢がない産業も多い。
 依存を完全にやめれば、人件費の安い移民によって作られている製品の価格は上昇する。また貧しい国々の労働者が生活水準の向上を求めるための選択肢が減ることになる。
 シドニー大学の移民専門家アンナ・バウチャー氏は、ある程度の低技能移民が、技能不足のため恐らく短期的には必要になるとの見方を示す。移民がいなければ、オーストラリアの保育サービスの一部は停止し、畑の野菜は枯れてしまうからだ。
 経済調査によると、科学者やエンジニアのような高技能移民が流入することで、むしろ企業の生産性は向上し、地元労働者の賃金や雇用機会は増えるという。
 一方、低技能移民に関しては経済専門家の見方はより割れている。そのような労働者は同様に簡単に取って代わられる。そこには自動化の対象とは思われにくい産業も含まれる。
 チェコ共和国では、一部の農家が人工知能(AI)を搭載したロボットを使い、いちごの監視と収穫を行っている。イスラエルの新興企業テベル・エアロボティクス・テクノロジーズが開発したのは、果物を摘み取るドローン(無人機)だ。英企業フィールドワーク・ロボティクスはラズベリーを摘み取るロボットの販売を最近開始した。高さ1.8メートルの本体にプラスチック製アームが4本ついている。
 だが各国政府にとって生産性を向上させ、不振企業を破綻に追い込むような改革を進めることは、移民を増やすことよりもはるかに困難だ。OECDの生産性専門家ダン・アンドリュース氏はそう話す。
 「一部の国は安易な解決策を選んだのかもしれない」と同氏は言う。
 模索は続く
 英政府は農業分野の自動化を加速させるべく、農業関連の技術に資金を投じている。また、雇用主が移民労働者に支払う賃金を同一職種の現行水準より20%低く抑えることを認めるルールの撤廃も検討している。これに対し、農家ロビー団体は抗議の声を上げる。彼らの主張によると、利用可能な技術があれば、農家はすぐにも導入するが、ロボットは果物や野菜の収穫には適していないという。
 移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 © The Wall Street Journal 提供
 カナダでは、経済専門家によると、政府は高技能労働者を優先的に受け入れる慎重に管理された移民制度を取りやめ、留学生などの低技能の臨時労働者の受け入れを大幅に増やしているという。デービッド・ドッジ元カナダ中央銀行総裁が共同執筆した12月の報告書では、同国政府は安い労働力を大量に流入させることで、競争力のない企業を下支えし、最終的に生産性を低下させている可能性があると指摘された。
 記録的な移民受け入れが数年続いた後、カナダの1人当たり実質国内総生産GDP)は2018年よりも減少した、とウォータールー大学(オンタリオ州)の経済学者ミカル・スクトルード氏は指摘する。カナダは多くの低技能労働者を受け入れており、同国の生産性低下につながっていると同氏は言う。
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🎄52」─3・C─ヒトラーのホロコーストを正当化した「ダーウィンの呪い」。~No.175 

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 人類史上、大量虐殺者とは、ロシア共産党スターリンナチス・ドイツ国家社会主義)のヒトラー中国共産党毛沢東の3人であり、彼らの共通はマルクス主義イデオロギーである。
 3人の虐殺者にとって、日本民族とは虫ケラのような生きる価値のない下等な劣等人種にすぎなかった。
 日本にとってスターリンヒトラー毛沢東は敵であり、思想弾圧として人民共産主義暴力革命を目指すマルクス主義原理主義者を大量検挙したが死刑にはしなかった。
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 マルクス主義は、科学至上主義と反宗教無神論である。
 過激派マルクス主義は、人民の大義を達成する為ならば命の尊厳を無価値として切り捨てていた。
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 2024年3月21日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ヒトラーによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」…「悪夢のような惨劇」はなぜ起こったのか
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】意外と知らないダーウィンが言った「進化」の本当の意味
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 本記事では、ヒトラーナチスの思想がどのように形成されていったのか、そして、そこに「進化論」を曲解した優生学がどのような影響を及ぼしたのかをくわしくみていく。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 ヒトラーの専属医師が遺した言葉
 ドイツ人医師カール・ブラントは、人類の輝かしい進歩を信じていたという。だが1948年、死刑宣告を受けたブラントは、絞首台の前に立っていた。
 アドルフ・ヒトラーの専属医師でもあったブラントは、第二次世界大戦中、強制収容所に収容されていた数千人の人々を強制的に不妊化し、科学の名目で恐るべき医学実験を行うなど、数多の残虐行為を行い、終戦後、その罪を問われたのである。ブラントは、北欧系白人を進化的に向上させるとして、20万人以上の身体・精神障碍者を組織的に殺害したT4作戦の推進者でもあった。
 悪魔の所業としか形容しようのない犯罪行為の報いを受けるのは当然、弁解の余地なし、のはずだったが、ブラントは絞首台を前にして演説を始めた。
 「ありとあらゆる人体実験を主導してきた国が、その実験方法を真似ただけの他国を非難し、罰せるのか。それに安楽死でさえ! ドイツを見よ、その苦境は操られ、わざと引き延ばされてきた。人類の歴史上、広島と長崎の罪を永遠に背負わねばならない国が、誇張された道徳を隠れ蓑に自らを隠そうとするのは当然で、驚きではない。法を捻じ曲げるな。正義は絶対そこにない! 全体を見ても個々を見ても。支配しているのは権力である。そして、この権力は犠牲者を欲している。我々はその犠牲者だ。私はその犠牲者だ」
 ブラントはすぐに絞首刑に処され、死の直前に残した不可解な主張はその真意を問われることもなく忘れ去られた。だがその意図を仄めかすものがある。ニュルンベルク国際軍事裁判で、ナチス幹部の弁護側が発した問いかけである。
 「米国の強制不妊手術プログラムが、他ならぬ最高裁判所が公認したものであるなら、ナチス・ドイツの強制不妊手術プログラムを、果たしてどれくらい悪いものだったと言えるのだろうか?」
 この問いかけは何を指しているのだろう。
 ナチスのお手本
 1927年、アメリカ合衆国最高裁判所は、国家の保護と健康のために心神耗弱者を含む不適格者の強制不妊手術を許可するヴァージニア州法に対し、合衆国憲法修正第14条の適正手続条項に違反しないとして、州法を支持する判決を下した。この裁判で判事のオリバー・ウェンデル・ホームズjrは、こう断言した。
 「我が国が無能な者で溢れかえるのを防ぐため、国家の力を蝕んでいる人々にこうした小さな犠牲を要求できないとしたら、それはおかしいだろう──関係者にはそう感じられないこともしばしばあるが。退廃的な子孫が罪を犯して処刑されるのを待つか、その無能さゆえに餓死するのを待つよりは、明らかに不適格な者の子孫が続くのを防ぐほうが、全世界にとってよいことなのだ。(中略)無能な者は3世代で十分だ」。
 この判決の結果ヴァージニア州当局は、若く貧しい女性キャリー・バックを、子を残すのに適さないとして、強制的に不妊手術を行った。
 バックは、養父母からの精神的欠陥という訴えを受けて州施設に送られたのち、医師の診断をもとに施設管理人から、「社会にとって遺伝的な脅威である」と、強制的な不妊手術の要請が出されていたのだった。シングルマザーのバックには、生後間もない娘がいたが、娘も遺伝的に不適格としてバックから引き離され、施設に収容された。
 だがのちに当時の記録から、養父母の策謀と施設管理人の偏見に加え、担当した医師が完全な誤診を犯していたことが判明している。実際のバックはまったくの健常者であり、読書好きの聡明な女性であった。また施設で育った娘は、のちに病死したが、小学生時代は学業成績もよく、優等生だったという。
 この判決を契機として、米国全土で「不適格者」への不妊手術法が正当化された。その後数十年の間に米国では推定7万人の「不適格者」に対し、不妊手術が行われた。
ヒトラーは『我が闘争』に、こう記している。
 「健康状態が悪く、重度の障碍を持つ人々を世界に生まれてこないようにするのは、かなりの程度まで可能である。私は、民族にとって価値がない、あるいは有害な子孫を産む可能性が高い人々の繁殖を防ぐために制定された、米国の州法に関心を持ち、研究してきた」
 ナチスが手本にしたのは米国だったのである。移民法を制定して人種差別政策を進める米国を、ヒトラーは称賛している。彼らのモデルは、米国国民の進化的な向上を目指す優生学運動と人種差別政策だった。米国で進められた強制不妊手術、社会的不適格者の収容、安楽死に関する議論や、人種差別政策を、忠実に移植したのである。
 この枠組みから始まった政策が、独裁政権下でエスカレートしたうえに、ユダヤ人差別と結びついた結末が、ヒトラーナチスによる600万人を超えるユダヤ人虐殺であった。
「呪い」が生み出した優生思想
 ヒトラーによる『第二の書』(Zweites Buch)は、こんな書き出しで始まる。
 「政治とは、歴史の構築である。歴史は、民衆による生存闘争の過程を示す。私がここで『生存闘争』の言葉を使うわけは、平和であれ戦争であれ、日々の糧を得るための闘いは、何千何万もの敵との果てしなき戦いであり、それは生物の存在自体が死との果てしなき闘争なのと同じだからだ。何十億もの生物が繰り広げる生存闘争と存続をかけた闘争は、厳密に一定な球体上で行われる。生存闘争を強いられるのは、生活空間が限られているためだが、この生活空間をめぐる生存闘争に、進化の基盤が存在するのである」
 ナチスの広報活動を担ったオットー・ディートリヒは、ヒトラーの思想についてこう語っている。
 「彼は生存闘争、適者生存などの原理を自然の法則と考え、それを人間社会も支配する高次の命令だと考えた。その結果、力こそ正義であり、自らの暴力的な方法は自然の法則と完全に合致していると考えた」。
 歴史家のリチャード・ワイカートは、ヒトラーナチスの人種差別政策と優生思想のかなりの部分が、ダーウィンとその後継者たちが発展させた科学としての進化学に由来したものだ、と結論づけている。
 彼らは極度に単純化し、わかりやすい形に改変したダーウィン進化論を利用して、彼らの行為を正当化したのである。さらに彼らは支配者として自然の代理人になろうと企てた。人間に対する人為選択である。彼らが「不適格」と認定した人々を、彼ら自身の手で排除したのである。
 自然界では生存闘争と適者生存で強い者が勝つ、と単純に信じていた彼らは、弱者も生き残ってしまう人間の文明社会を、そうした進化のルール──自然の法則から外れてしまったもの、と見なしていた。
 人間もその社会も自然の法則に従うべきだ、と考えた彼らは、自然の代理人として彼ら自身で手を下したのである。それが彼らの考える進化を裏付けとした優生学だった。しかし結局のところ彼らの企ては、単純化した進化と自然の法則と科学を悪用して、彼らの人種差別思想と偏見とを、正当化するものだった。
 ナチスの場合には、さらに誤った集団選択──国家や民族が選択の単位になるという考えが融合していた。この単純な集団選択は、20世紀前半の欧米社会で素朴に受け入れられていた。
 ヒトラーナチスによる悪夢のような惨劇は、魔物に取り憑かれた「進化の呪い」と「闘争の呪い」、それに残虐行為の正当化に利用された(真偽と無縁な)科学的裏付けである「ダーウィンの呪い」が、偏見や差別と一体になって引き起こしたものだと言える。
 ただし実は、進化を科学的裏付けとした優生思想は、ナチスほど暴力的なものではないにせよ、20世紀前半の欧米には広く浸透していた。これは人間の遺伝的劣化を防ぐ、あるいは進歩を実現するために、人間の遺伝子プールを人為的に操作し、選択をかけて進化させる、という恐るべき思想だった。
 科学の成果は、結実した成果そのものだけではなく、結実に至る経緯も評価しなければならないとされる。それなら、科学の惨禍も、結実した暴虐そのものだけでなく、暴虐へと至る経緯も分析しなければならないだろう。
 千葉 聡(東北大学教授)
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 2024年3月19日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「多くの人に誤解されているダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】ヒトラーナチスによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 進化に方向性はあるのか
 日本の大学生は進化する必要がある、などと私が言おうものなら、私の学生も含めた生物学徒は鬼の首を取ったように苦情を述べるだろう。私の主張に、ではない。進化という言葉の使い方に対してである。
 生物学的な進化の意味は、遺伝する性質の世代を超えた変化である。現代のそれは発展や発達、進歩の意味ではない。生物進化は一定方向への変化を意味しない。目的も目標も、一切ないのだ。
 そのプロセスの要は、ランダムに生起した変異が自然選択のふるいにかかって起きることである。まずはダーウィンの説明から見てみよう。
 「……どんな原因で生じたどんなにわずかな変異でも、ほかの生物や周囲の自然との無限に複雑な関係の中で、その変異が何かの種の個体にとって少しでも有益であれば、その個体の生存につながる。そしてその変異がその個体の子孫に受け継がれるのが普通である。さらにその子孫も生き残る可能性が高くなる。なぜなら、どんな種でも、定期的に生まれる多くの個体のうち、ごくわずかしか生き残らないからである。この、わずかな変異でも、有用であれば保存されるという原理を、私は『自然選択』と呼んでいる。それは、人間による選択の力との関係を示すためである」
 この自然選択の作用で、より高い繁殖率や生存率を持つ変異が、次世代にほかの変異より多くの子孫を残す結果、存在比率を増やしていく。選択によるわずかな変化が蓄
積し、少しずつ漸進的に進化する。
 自然選択は、動植物の育種のために人間が行う変異の選抜──人為選択がヒントになっている。だが人為選択と異なり、自然の作用には育種家が抱くような変化の目的や目標はない。
 ダーウィンにとって、どのような変異が生じるかはランダムであり、どのような性質が有利かは環境によって変わるので、進化は条件次第でどのような方向にも進みうるものだった。つまり進化には発展や進歩のような、あらかじめ定まった方向はない。退化も進化である。
 ダーウィンは、寄生虫が自由生活者の祖先から進化し適応を遂げた結果、祖先が持っていた器官や能力を失う、つまり退化することが多いとも述べている。
 一定の方向ではなく、あらゆる方向に変化する結果、多様化が進む。現在の生物が、初期の生命と比べて複雑に見えるのは、単純なものから様々な方向への進化で多様性が高まった結果の一部を見てそう思うに過ぎない。現在の地球上に棲む生物種は、すべて共通祖先から枝分かれし、同じ進化の時間を経てきたものだ。だから、その中に祖先的な形質を残した種は存在するが、ある種が別の種の祖先ということはない。
 ダーウィンは1837年のノートにこう記している。「ある動物がほかの動物より高等である、と語るのは馬鹿げている」。また友人のジョセフ・フッカーに宛てて、こう手紙に書いている。「神よ、“進歩する傾向”というラマルクの馬鹿げた考えから、私をお守りください」。
 進化は進歩でも発展でもない、そうダーウィンは考えたのである。ではなぜ生物学以外の分野や一般社会では、進化を発展、発達、進歩の意味で使うのだろう。
 まずダーウィンの主張を整理しよう。その要点は、第1に生物の種は神が創造したものでなく、共通祖先から分化、変遷してきたものであり、常に変化する、という主張。
 第2に、生物の系統が常に変化し、枝分かれする以上、種は類型的な実体ではなく、科や属や亜種と同じく、形のギャップで恣意的に区分される変異のグループに過ぎないという主張。
 第3に、そうした変化を引き起こした主要なプロセスは自然選択である、という自然選択説の主張である。そしてこの三つに基づいて、生物の進化は何らかの目標に向かう進歩ではなく、方向性のない盲目的な変化である、という主張が導かれる。
 「マジック・ワード」エヴォリューション
 よく誤解されているが、エヴォリューション──進化(evolution)という言葉を最初に使ったのは、ダーウィンではない。それどころか現在の私たちが進化と表現している現象を、ダーウィンは最初、エヴォリューションとは呼ばなかった。
 1859年に出版した非常に長いタイトルの本(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life──自然選択すなわち生物の闘争における有利な品種の維持による種の起源について、の意)──略称『種の起源』でダーウィンは、最後に「進化する」という動詞形で用いただけで、エヴォリューションという用語は使わず、その代わりにトランスミューテーション(transmutation)という用語を使った。
 また自らの理論を、「変化を伴う血統の理論」(theory of descent with modification)と呼んでいた。ダーウィンがアルフレッド・ラッセル・ウォレスとともに発表した、進化における自然選択の作用についての論文では、トランスミューテーションすら使わず、それを「変化」としか表現していない。
 ところが19世紀前半にはすでに、エヴォリューション──進化という言葉は、学術界で一般的に使用されていた。たとえばダーウィンがまだビーグル号で世界一周の航海
途上にあった1832年、チャールズ・ライエルは次のように記している。「最初に存在した海洋の有殻アメーバ類のうちのいくつかが徐々のエヴォリューションにより、陸
地に生息するものに改良された」。
 それはたとえば星雲のエヴォリューションのように、非生物的自然の連続的な複雑化や発達、という意味でも使われていた。また人間社会の進歩にも使われていた。歴史
家のフランシス・パルグレイブは1837年に、「立憲主義による私たちの政治形態は、エヴォリューションによって作り出された」と記している。
 進歩は光、衰退は闇
 もともとエヴォリューションとは、「展開する、繰り広げる」という意味のラテン語、evolutioに由来する語で、コンパクトに折り畳まれていたものが一方向に展開する
ような現象を表現するのに使われていた。
 それが転じて17世紀以降、個体発生を意味する語としてエヴォリューションが使われた。当時の前成説の考えでは、精子や卵の中に子供の形のひな型が入っており、次第にそれが展開するのが発生の過程だったためである。
 エヴォリューションの考え方自体は、自然主義の出発点──古代ギリシャまで遡る。
 まずはプラトンが万物にはその物をその物たらしめる不変の本質があるとする本質主義を唱えて、進化のライバルとなる不変の思想のほうが先に誕生する。だが同時にプラトンは、宇宙における秩序の発生という概念を着想した。
 さらにアリストテレスによって、無生物から植物、動物へと連続する自然観が導かれた。アリストテレスは、自然物の存在に合目的性を認めた。この秩序と連続がのちに「存在の連鎖」──植物から動物、人間へと生命の直線的な秩序を表す自然観へと発展した。これにキリスト教の時間的な変化の概念が融合し、進歩を意味する歴史観となった。アリストテレス以来の目的論を受け継ぐ、一つの目標に向けて進む進歩観である。
 進歩を光とすれば、衰退は闇である。西欧には、光が作る影のように、進歩観の裏側にそれとは正反対の世界観が張り付いていた。旧約聖書に記された堕落神話──アダムとイブから続く堕落や、大洪水を箱舟で生き延びたノアの子孫が各地へ移住した後、新しい土地で暮らすうちに堕落していく、といった衰退観である。人類は神による創造以来、堕落し衰退し続けるという世界観、さらにキリスト教の終末論は、逆に西欧の進歩への強迫観念を支えてきた。
 18世紀にはフランスのジョルジュ・ビュフォンが、「ときの流れの中で、発達と退化を経て、ほかのすべての動物を生み出した」と歴史的な種の変化の可能性を指摘して
いた。進歩と退化(堕落)を決めるのは環境の違いだと考えたビュフォンは、生命の活力を低下させる新大陸の気候は、動植物のみならず人間も退化させると説いた。
 この主張に激怒した米国建国の父、トマス・ジェファーソンは、反論のため米国の自然や動植物を称える活動に力を入れ、巨大なヘラジカの剥製をビュフォンのもとに送りつけた。
 ドイツではビュフォンの説が支持を集め、イマヌエル・カントは人種の違いを気候の違いで生じたものだと主張した。
 フランスではジャン=バティスト・ラマルクが1809年に、親が環境に応答して獲得した性質が次世代に先天的な性質となって伝わる、という考えで生物の変化を説明した。ラマルクによれば、生物は体の構造をより複雑なものへと進歩させる内的な性質を持つという。環境が大きく変化すると、生物は生き残るために変化しなければならない。
 脳を持つ動物は意識的に、それ以外の生物は無意識的に、変化した環境に適した性質を獲得しようと努力する。その結果身体に生じた変化は、子に受け継がれ、先天的な性質となって世代を超えて伝えられる。使われない性質は逆に失われる。こうした獲得形質の遺伝による目標に向けた進歩で、生物は祖先から子孫へと徐々に性質が変化していく、と考えたのである。
 これに対し、解剖学者・古生物学者のジョルジュ・キュヴィエは、天変地異による種の絶滅と入れ替わりで種構成の歴史的な変遷が起きるとする「天変地異説」を唱え、ラマルクの主張する祖先―子孫の漸進的変化を批判した。
 英国では18世紀から19世紀初めにかけて、神の摂理自然法則の形で作用し、自然の発達を通じてその摂理が実現する、と考える、進化理神論(Evolutionary deism)と呼ばれる主張が広がっていた。生物の個体発生もこうした摂理が作用する例と考えられていた。この進化理神論者の一人で、ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンも、1791年にエヴォリューションを個体発生の意味で使い、こう記している。「種子から進む動物または植物の幼体の段階的なエヴォリューション」。
 進化理神論では、最初は不明確でまとまりのない均質な状態から始まり、それが発達して、複雑でまとまりを持つ秩序ある多様性に至る、と考える。
 最終的に到達するのは、最大の幸福を実現する理想的な状態である。この進歩・発展の過程がエヴォリューションと呼ばれるようになった。成体という目標に向かって発達するのが個体発生であり、エヴォリューションなので、それを生物の歴史的な変遷に置き換え、個体発生と同じく何らかの目標に向けて発展する現象と見なせば、それはエヴォリューションとなる。
 *
 さらに【つづき】〈競争とその結果を正当化するために利用された「ダーウィンの進化論」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」〉では、『種の起源』以前のエヴォリューションの意味や、「進化」という言葉の本来の意味と生物学での意味のちがいなどについて、くわしくみていく。

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 千葉 聡(東北大学教授)
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 2023年11月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「競争とその結果を正当化するために利用された「ダーウィンの進化論」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」
 千葉 聡東北大学教授
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 注目の新刊『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 本記事では〈意外と知らないダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」〉にひきつづき、ダーウィンが『種の起源』を書いた以前から使われていた「進化」という語の意味や、19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」についてくわしくみていく。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 『種の起源』以前のエヴォリューション
 19世紀前半には、エヴォリューションは内的な力によって生起する一定の方向に向けた時間的変化や、単純なものから複雑なものへと発達、発展する現象を広く表現する言葉として使われるようになっていた。
 1844年に匿名で出版されたロバート・チェンバースの『Vestiges of the Natural History of Creation』は、神の摂理である自然法則のもと、太陽系が形成され、既存の種から新しい種が生まれ変遷して、人間に至る、と主張した。
 ラマルクもチェンバースもエヴォリューションという語は使わなかったものの、地球上の生命の発展は、あらかじめ決められた目標に向けた首尾一貫した計画の展開であると考えていた点で一致していた。
 こうした生物の進歩的な変化の考えは、すでに19世紀前半には英国社会でかなりの程度まで受け入れられていた。ダーウィンが『種の起源』で進化の考えを提唱する以前に、エヴォリューションは、様々な現象の発展、発達、進歩や、一つの目標に向かう変化を意味する語として使用されていたのである。
 この由緒正しい意味でエヴォリューションの語を使い、宇宙の発達、生物の複雑・多様化、人間と精神の発達、社会の発展・進歩を、自然法則として統一的に説明しようとしたのが、ハーバート・スペンサーである。
 彼の著書『First Principles』が出版され、世間の評判を得るのは1862年だが、1850年代にはすでにその構想を完成させ、一部を発表している。スペンサーが生物のエヴォリューションを駆動する力として重視したのは、ラマルクの考えである獲得形質の遺伝を主とする内的な力だった。
 1864年に出版された『生物学原理』(The Principles of Biology)で、適応の要因として獲得形質の遺伝とともに、自然選択を一部だけ取り入れたが、それが適用できる性質の範囲は限られる、と考えていた。
 ダーウィンのトランスミューテーションは、このような自然界の秩序ある発展、つまりエヴォリューションを否定するものだったのである。エヴォリューションの語をダーウィンが使わなかったのは、彼が着想したトランスミューテーションが、当時広く使われていたエヴォリューションとはまったく異質なものだと認識していたからだ、と言われている。方向がどのようにも変わりうる生物の変化、目的のない変化というダーウィンの基本的な考えは、革新的なものであったのだ。
 その生命史のイメージは、単純な形から出発した生物が、あらゆる方向に枝分かれしながら無目的に変化する結果、時間の経過とともに人間を含む果てしない多様性が生まれていく、というものだった。『種の起源』の末尾は、動詞形ながら本中で唯一の、進化する、という言葉を使い、こう締めくくられている。
 「こんな壮大な生命観がある──生命は、最初一つか少数の形のものに吹き込まれた。そしてこの惑星が重力の法則に従い回転している間に、非常に単純な始まりから、最も美しく、最も素晴らしい無限の姿へと、今もなお、進化しているのである」
 ダーウィンは、秩序ある発展ではなく、果てしなく広がり、あらゆる方向に変わり続ける命の、あてのない旅を、目標なき「展開」の意味で進化する、と描写したのだろう。
ダーウィンの揺らぎ
 だが、ダーウィンが方向性のない進化にこだわり、進化を進歩と見る考えを常に拒否していたかというとそうでもない。ダーウィンの記述にはぶれが見られる。
 たとえば『種の起源』で、自然選択により「すべての身体的、精神的資質は完全に向かって進歩する傾向がある」と記している。また前述の結語の直前には、「こうして、自然の戦争、飢饉、死から、私たちが想像しうる最も高貴な対象、すなわち高等動物の創出が直接もたらされるのである」と書かれている。
 ダーウィンは、のちに獲得形質の遺伝の考えも大幅に取り入れ、方向性のない変化の主張も後退させていった。それに合わせるかのように、エヴォリューションという語を使用するようになった。
 歴史家のピーター・J・ボウラーは、生物学者としてのダーウィンは進化を方向性のないものと認識していたが、社会哲学者としてのダーウィンは進化を進歩の意味で説明した、と述べている。自説が社会に受け入れられるには、19世紀英国社会の進歩主義に貢献できるものでなければならない、と考えていたためだという。自然選択説という自説の核を守るため、それに付随するはずの進化の無方向性を犠牲にしたというのである。ただし、ダーウィンは部分的には進化を発達や進歩と見ていたと指摘する研究者もいる(*1)。
 いずれにせよ、方向性のない進化というダーウィンの革新的なアイデアは、ダーウィン自身がのちに封印してそれほど強く訴えなかったこともあり、当時は社会的にもあまり意識されなかった。だからダーウィン進化論が、当時の社会の進歩観に衝撃を与えたわけでも、それと対立したわけでもない。それどころか社会はそれを進歩主義の推進力に利用したし、ダーウィンもそれを利用した。
 その結果、ダーウィンのトランスミューテーションとエヴォリューションは同義となった。
 20世紀半ば以降、自然選択を中心に据えた進化の総合説が広く定着し、改めて生物進化が当初のダーウィンの主張通り、方向性のない変化の意味で理解されるようになったときには、生物学者はみなそれを本来違う意味だったはずのエヴォリューションの語で呼ぶようになっていたわけである。
 *
 (*1)例えば、体サイズのより大きな変異が自然選択に有利な環境が一定期間続けば、大型化という一方向的な変化がその期間に限り生じるので、その期間だけ抽出して、生じた変化に進歩という概念を当てはめれば、進歩と表現できる。
 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」
 現在でも生物学以外の世界では、自然現象、事物、社会の発展や発達、進歩の意味を表す語として、エヴォリューション──進化が使われているが、生物学者の中にはそれを誤用だと指摘し、批判する者がいる。
 しかし歴史的な経緯を考えればそちらが本来の意味に近く、生物学での意味が異端なのである。生クリームが入っていないカルボナーラなんて偽物だとイタリアで主張するようなものである。
 天文学者エドワード・ハリソンは逆にそうした生物学者を批判し、こう述べている。「生物学者はエヴォリューションという言葉を捨てて、その言葉を、本来の(一方向への)“展開”という適切な意味で使っている天文学者に任せるべきだ」。
 ただ、逆に言えば、本来の意味、とは、19世紀の西欧社会の世界観を色濃く残す意味、とも言える。ボウラーを始め多くの歴史家は、「ダーウィニズム」は19世紀後半において、ほとんど必然的に進歩主義的な意味を持つものであり、中産階級の競争による権力獲得を正当化する思想と合流した、と指摘している。
 つまり「進歩せよ」を意味する「進化の呪い」は、生物の変遷も人間社会の発展も、それが神の摂理であれ自然法則であれ、共通の法則に従うひとくくりの進歩として捉えられた、19世紀欧米社会の世界観であると言ってよい。
 その世界観は、恐らくはギリシャ時代に端を発し、キリスト教の終末論的概念を負の推進力として強化され、啓蒙時代の英国を覆っていた、進歩史観に由来するものだ。進歩のために、自助努力を重視し競争を許す思想は、プロテスタントの労働倫理が影響したものであろう。
 「進化の呪い」は生物学の原理を社会に当てはめて生まれたものではない。初めから自然、生物、社会をあまねく支配し、進歩を善とする価値観として存在していたものである。
 そして当初のダーウィンの意志が生物の進歩を否定するものだったにもかかわらず、社会も人も進歩すべきであるという規範と、人々の競争とその結果を正当化するために、神の摂理ダーウィンの名に置き換えて生まれたのが、「ダーウィンの呪い」──「ダーウィンの進化論によれば……」だったのである。
 神の教えに代わり、人々に教えの正しさ、規範の重要さを認めさせる「託宣」、あるいは「ブランド」とも言えるだろう。
 現代の生物学では「エヴォリューション──進化」を発生や変態はもちろん、進歩の意味では使わない。プロセスに合目的な要素を前提としないうえに、進歩には科学と峻別すべき価値観が含まれるからである。
 仮に進歩から価値を切り離せるとしても、スティーヴン・ジェイ・グールドの言葉を借りれば、「自然選択理論の必要最小限な仕組みは、局所的に変化する環境への適応についてしか語らないので、進歩の根拠を与えない」のである。
 だが、実は生物学者の間でさえ、この「生物進化は進歩ではない」という理解が広く定着するまでには、総合説の成立以降も紆余曲折の道のりがあった。
 そこで本書では進歩か否かにかかわらず、「進化」を単に遺伝する性質の世代を超えた変化の意味で使用する。ときに進歩を含意する語としてそれを用いる場合があるが、そこは歴史的な経緯を踏まえた事情ゆえと、許容していただきたい。
 *
 本記事の抜粋元『ダーウィンの呪い』ではさらに、中立的な進化が、なぜひたすら「進歩」が続くと信じられるようになったのか。ダーウィンとその理解者、そしてその志を継いだ後継者たちが、いかにしてダーウィンの「進化論」が生み出した「呪い」にかけられていったのか、が書かれています。ぜひお手にとってみてください。
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🐊12」─2・B─切迫する太平洋島嶼国に浸透する中国マネー。後退する日米。〜No.76 

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 安倍晋三元総理を失った外交下手の日本には、外交巧者の中国共産党に対抗できない。
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2024年3月25日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「「太平洋でカネにまかせた中国ドミノ」、世界で高まる島嶼国への関心、経済発展なくとも日本が長期的支援をすべき理由
 米国とミクロネシア3国(ミクロネシアマーシャル諸島共和国パラオ共和国)は昨年、コンパクト合意と呼ばれる資金提供プログラムを20年延長することで合意した。しかし、コンパクト合意に基づく支援予算の米議会での承認が大幅に遅れ、島嶼国側からも米国内からも懸念が高まっていた。
 “The Coming Collapse of China”(邦題:『やがて中国の崩壊が始まる』)の著者である著述家のゴードン・チャンは、2月23日付けワシントンポスト紙掲載の論説‘Congressional inaction is handing the Pacific to China’で、米議会のミクロネシア3国支援承認の遅れは太平洋を中国に渡すことになる、と批判している。主要点は次の通り。
 米議会は、最も親しい同盟国に対する財政支援約束を果たしておらず、重要な友好国を見捨てることになっている。中国はパラオミクロネシア連邦マーシャル諸島を取り込もうとしており、それが成功すれば中国軍は太平洋の広大な水域を支配することになる。
 そうなると、新しい港や基地に展開される中国軍は、民間か軍用かを問わず、この海域を航行する米の船舶や航空機を阻止することができる。更に中国はハワイやグアム等米領土を攻撃できる施設を手に入れる。
 昨年これら三国とのコンパクト協定が再交渉され、20年の延長が合意された。しかし、米議会は未だ米の資金提供義務を承認していない。12月に可決された2024年国防権限法にはこれら三国への資金支払いは含まれなかった。2月13日に上院で可決され法案にはウクライナイスラエル、台湾向けの953億ドルが含まれたが、コンパクト三国への資金予算は含まれなかった。
 コンパクト三国への米の資金提供義務は、次の20年間で合計71億ドル、現在米議会は協定の資金提供履行のために23億ドルを承認する必要がある。ミクロネシアマーシャル諸島は目下米繋ぎ予算決議の下で一部の資金を受け取っている。パラオへの資金提供は現在最小限に削減されている。
 中国は、これら三国の指導者に対し米国を見捨てるように働きかけている。中国は、機能不全の米国は信頼できないパートナーになったと説いている。11月に再選を控えるパラオ親米派のホイップス大統領は、中国の資金攻勢に最も脆弱だ。中国の資金を得るためには、パラオは外交承認を台北から北京に切り替えることが必要とされる。ミクロネシアは中国を承認、2019年にはキリバスソロモン諸島が台湾承認を撤回した。その裏に中国による資金約束があったことは疑いない。
 中国にとりもうひとつ好都合な要因は恐怖だ。親中派は、パラオを中国の標的にしてはならないと主張する。この議論は効果的だ。
 ホイップスは米国に米国の在パラオOTHレーダー防衛のためのパトリオット迎撃ミサイル部隊の展開を要請した。しかし昨年11月、パラオ上院はその部隊展開を拒否する決議を採択した。中国はレーダー建設地近くにホテルとカジノの建設を申し出た。
 中国がソロモン諸島支配下に入れたことは、コンパクト三国に対する警告だ。中国は、豊富なカネを政府・議会関係者にばら撒き、嘗て民主主義国だった同国を権威主義国家に変える道を着々と進めている。中国の新たな友人となったソガバレ(首相)は、2022年には次の総選挙を延期した。
 中国は、太平洋を自らの保護区にしようとしている。他方で、米議会は、米国の財政負担を果たさないことにより、中国による米国の最も忠実な同盟国の反米化を許してしまっている。
 *   *   *
 切迫する島嶼
 上記の論説が出た後、3月8日にようやくミクロネシア3国への支援の予算が米議会で承認された。承認は一安心ではあるが、遅延が損ねた米国への信頼を回復することは容易ではないだろう。米議会がウクライナ支援や中東等を政争の具にし、そこに太平洋島嶼国支援が巻き込まれている実態は、残念と言う他ない。
 中国はその野心を進めている。太平洋でカネにまかせた中国ドミノが起こらないとも限らない。
 マーシャル諸島のハイネ大統領(女性、1月大統領に返り咲いた)は、2月末ガーディアン紙に、「対米関係は米議会の政党政治のために徐々に壊されつつある」、「米国が合意した資金は米国の寛容により合意されたものではなく、当事者間の厳しい交渉の結果合意されたものだということを米議会は理解すべきだ」と述べた。
 その後、3月1日のビキニ70周年集会演説ではもっと先鋭に、「米議会はコンパクト三国への資金承認もしないで2週間の休会に入った。今、米国との関係は岐路にある」と述べるとともに、他の地域プレーヤーがマーシャルとの関係を築きたいと熱心になっていることを示唆して、「米国がわれわれへの約束を果たさないのであれば、われわれは他の選択肢を真剣に検討する必要が出てくる。マーシャルが米国の確固たる同盟国であることを当然視してはならない」と述べた。
 この発言は脅迫的で感心しないが、同国には今深刻な財政危機に直面しているという事情がある。米国の資金支払まで信託基金を取り崩して保健等当面の必要をカバーしているという。
 チャンは、パラオの状況が急迫していると言う。22年末、米国はOTHレーダーのパラオ設置を発表、目下建設中だ(26年に完成予定)。今秋の選挙が近づくにつれ、これが国内政治議論に発展している。
 反対派は、レーダーは中国による最初の攻撃標的になると主張。米国育ちで親米のホイップス大統領は昨年9月、米国に中国による攻撃からパラオ住民を守るためとしてパトリオット部隊の恒常展開を要請した。
 しかし11月、パラオ上院はこの部隊の展開を拒否する決議を採択した。親中の上院議長ボールズが反対派を主導しているらしい。反対派の裏には中国の介入があるとの見方もある。
 これらの状況はソロモン諸島と似通っている。十分注意する必要がある。
 経済発展は至難でも、支援は必要
 太平洋が中国拡張主義と権威主義化の大洋になることは防がねばならない。島嶼国の経済発展は至難に思われるが、最近島嶼国への世界の関心は、欧州を含め強まっている。
 ミクロネシア連邦ポンペイに最近開設された国連統合事務所も益々拡大の予定だと言う。日米豪等が連携、支援をもっと強めることが必要だろう。またそれが長期に亘ることも覚悟せねばならない。
 岡崎研究所
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 2月13日 世界潮流を読む 岡崎研究所論評集「<中国衰退論>は時期尚早で危険!「大国」中国の今とこれからを見る4つの視点
 CNAS理事長のリチャード・フォンテインが、中国衰退論は尚早、危険であり、それを前提にすることは愚かだ、これが米国の政策の前提になれば米国は中国の挑戦に対する必要な力の結集ができなくなると、2024年1月22日付のワシントン・ポスト紙で述べている。
 春節の挨拶を述べる習近平国家主席新華社/アフロ)
 中国の李強首相は、ダボスで、自国を安定した投資先としてアピールした。彼は、「中国経済には莫大な潜在力があり、それを選ぶことはリスクではなく、機会である」と述べた。
 聴衆は懐疑的だった。中国は、過去2年間、成功よりも問題が増えている。そのため中国経済の不可逆的な衰退を心配する分析家もいる。
 しかし、これらの懸念は全く早計だ。さらに、これが米国の政策の前提になれば、米国は中国の挑戦に対する十分な力の結集ができなくなる。近い将来の主要リスクは、中国台頭の頓挫ではなく、米国が必要な力を結集することができないことだ。
 中国は依然として膨大な利点を有する。その経済は非常に大きく、いくつかの指標では米国の経済よりも大きい。
 昨年の中国の国内総生産GDP)の成長は恐らく米国よりも高いだろう。中国は120以上の国の主要な貿易相手国であり、人工知能量子コンピューターといった重要技術分野で米国主導の制約を克服し乍ら革新を続けている。
 中国は、これらの利点を戦略的な力に転換しようとしている。米の国防予算よりは小さいが、中国の国防予算は拡大しており、それは少なくとも向こう5年または10年以上継続する可能性がある。
 中国は、現在アジア最大の空軍と世界最大の海軍を有し、艦船や潜水艦は370隻以上保有している。新たな弾道ミサイル核兵器や運搬手段を急速も拡大している。多くの国々で軍事基地や拠点を拡大しようとしている。
 また、習近平の下でその野心は依然として壮大だ。昨年、中国は新興5カ国(BRICS)を拡大した。中国の船舶は、南シナ海で攻撃的な行動をとり、領域主張水域で比船舶に激突する等の行為をしている。
 国防省によれば、中国は、数十回に亘り米軍機に対し危険な妨害行為を行い、中国の戦闘機は今や台湾海峡の中間線を定期的に越境飛行している。先週、中国は台湾の総統選挙の2日後、太平洋のナウルに台湾承認から中国承認に変えさせた。中国の指導者は、特にグローバル・サウスで指導力を発揮している。
 中国は依然として台頭し、地域支配と国際的修正主義に取り組んでいる。しかし、中国の絶対的な力は方程式の半分に過ぎない。この種の競争では相対的な力が重要であり、米の力の強化が極めて重要だ。
 米国の力(経済の規模と活力、軍事的な能力と容量、同盟と連携の強さ、必要な時の政治的結束力)をもってすれば、中国の台頭に十分対応できる。しかし、これらの利点は自動的に結合するものではない。米国は、中国の挑戦を前提に、自らの力の強化を図るべきだ。
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 巨大な人口と経済圏は続く
 正論である。フォンテインは、中国衰退論は尚早で、危険であり、それを米国の政策の前提にすることは愚かだ、米国は中国の挑戦を前提に自らの力の強化と結集を図るべきだと言う。指摘の通りであり、追加することはない。
 中国の力を過小評価してはならないし、過剰評価する必要もない。中国の成長は、発展に連れて必然的に鈍化するだろうし、それに連れて国民統治も一層難しくなるだろう。しかし共産一党統治はなかなか崩れないだろうし、中国共産党ソ連共産党の歴史を反面教師として、反対にそのイデオロギーを強めている。
 西側および中国の周辺国は、当面中国の力を常に警戒する必要がある。そして、その巨大な国土と人口に具現される中国の単なる大きさは将来にわたって力として残るだろう。
 人口減少が指摘されるが、他国と比較すれば中国の人口はいまだ並外れて巨大だ。それらは潜在的な脅威となり、中国は世界の問題として、半永久的に残るのではないだろうか。
 中国が世界を不安定化させないためには、中国との対話と中国自身の変化(国際協調化)が必要である。中国の孤立化は、打開策にならないだろう。幻想は禁物だが、中国と関与し、辛抱強く中国の変化を求めることが肝要ではないか。
 近年、世界貿易機関WTO)加盟後の西側の対中関与政策が失敗したことを指摘する論調が多いが、関与の誤りと言うよりも、そのやり方が問題だったのではないか。西側は、余りに無防備に、競って中国に進出し、結果として中国に最大限利用された。西側の過度のナイーブさが問題だったのではないか。
 近年の変化の実態は
 中国の変化については、次のようなことが求められるだろう。
⑴ 中国の発展自体ではなく、中国が増大する富と力を如何に獲得し、それを何に使うかが問題だ。西欧の技術を詐取し、あるいはネット等で非合法に取得することは止めるべきだ。外国人材の確保についても、国際標準に沿ってやっていくべきだ。
⑵国防偏重は修正すべきだ。南シナ海の領有権主張は国際規範と関係裁判所の決定に従うべきであり、南シナ海の軍事化は止めるべき。海外への軍事拠点、ネットワークの拡大にも警戒させられる。今の中国の政策は、一世紀余前の帝国主義的、覇権主義的先例と基本的に違わない。一方的な現状変更は支持されない。
⑶大国になったから当然だとの世界観が中国にはあるように思える。可笑しな議論だ。歴史の流れを正しく理解し、戦後世界の足跡をもっと理解する必要がある。戦後の国際社会の発展は、人類共有の歴史であり、価値あるものだ。それは西洋が造った歴史だといった修正主義的議論には違和感を覚える。戦後秩序のルールを守り、協力して発展していくべきだ。更に言行一致が大事だ。
⑷人権や民主化は抑圧されてはならない。国家の正直さも必要だ。偵察気球の他国領域飛来やコロナ禍等については問題があった。
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🦎15」─2─中国マネーに染まるラオス経済特区の闇。中国化は犯罪の温床に。~No.53No.54 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2024年3月24日18:05 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS DIG Powered by JNN「中国マネーに染まるラオス経済特区の闇 カジノなどが犯罪の温床に 「中国政府は“犯罪の横行”認めない」
 シリーズ「現場から、」です。中国資本による経済開発が進むラオス。ただ、国境地帯のある経済特区をめぐっては、人身売買などの犯罪の温床になっているとして各国が警戒を強めています。その実態を取材しました。
 タイとラオスの国境を隔てるメコン川ラオス側へと渡っていくと…
 記者
 「対岸に大きなビルやホテルが見えてきました」
 高層ビルが建ち並ぶ都会のような街並み。
 ここは、ラオスのボケオ県にある「ゴールデントライアングル経済特区」です。といっても、ラオス政府が開発しているわけではありません。
 記者
 「色々な国にチャイナタウンがあると思うんですけど、ここはその比じゃないですね。中国の一都市に来たような感じがします」
 2007年にラオス政府との間で観光開発契約を結んだ中国の投資家らが、土地を99年間で借り受け、開発を進めているのです。
 アジアで最も貧しい国のひとつとされるラオスでは、巨大経済圏構想「一帯一路」を掲げる中国から多くの融資を受け、2021年に「中国ラオス鉄道」が開通。中国マネーへの依存が深まっています。
 経済特区の主要通貨は中国の「人民元」。
 中国人が住むコンドミニアムなども数多く建設されていました。
 市民
 「街が発展しているからいいことだと思う。道路も整備されて、観光客も増えてきたから収入も上がっている」
 一方、別の住民からは…
 市民
 「(この街は)怖いです…」
 派手なネオンが印象的なカジノホテル。香港に拠点を置く企業が運営し、中国人の富裕層らでにぎわっていました。
 ただ、実態は中国マフィアによる犯罪の温床とみられ、アメリカ政府は、“カジノの求人募集で外国人らをだまして、オンライン詐欺に加担させるなどの人身売買が横行している”と指摘。制裁として運営企業の資産を凍結しました。
 人身売買被害者の支援団体 NGO「AAT」の担当者
 「被害者は暴力的なビデオなどを見せられ、恐怖を植え付けられている。女性は『働かなければ風俗店に売り飛ばす』と脅される。中国政府にも対応を求めたいが、中国側は犯罪が横行していることを認めようとしない」
 韓国メディアによりますと、韓国外務省は1月、ゴールデントライアングル経済特区への渡航を禁止する措置を決定しました。
 また、ラオス日本大使館も「外国人を被害者とする求人詐欺が多発していて、治安当局による救出や解決が容易ではない」として注意を呼びかけています。
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 3月24日14:04 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「「アメリカン・ドリーム」と「チャイニーズ・ドリーム」が屹立する世界 正念場の日本外交 国際舞台駆けた外交官 山本忠通氏(番外編)
 外務省のみならず国連でも事務総長特別代表を務めるなど国際舞台で活躍してきた山本忠通氏。外交官生活を振り返った「国際舞台駆けた外交官」の番外編として、今後の世界と日本の課題について提言してもらった。
■ロシアと中国の挑戦
 国連での5年半を含む46年間、外交官としての仕事に携わってきた経験から、今は外交のかじ取り次第で、将来の日本に決定的な違いが生じる大事な時期にさしかかっていると感じます。
 世界は今、2つの意味で、日本人を含む人類がどんな世界に生きていくのかを決める歴史的な結節点のただ中にあると考えます。一つは国際社会の秩序のあり方、もう一つは人類と地球の未来に向けた持続可能な環境維持という観点です。
 国際秩序を巡っては、平和と安全の維持、繁栄の基礎を提供する国際的制度、枠組みが変革を余儀なくされています。米国が主導するこれまでの自由民主主義に基づく制度や秩序維持のあり方に、ロシアや中国が疑念を呈しています。
 ロシアはウクライナ侵攻という軍事行動で挑戦。中国も、将来を良くするのは「アメリカの夢(American Dream)」に加え、「中国の夢(Chinese Dream)」もあるとし、多くの途上国が賛同する別の道だと主張しています。そうした中で、グローバルサウスと呼ばれる多くの途上国は、どちらかの体制の肩を持つのではなく、自らの国と国民の利益を最大限にすることを念頭におき、自己中心的に動いています。
■50年後の日本の立ち位置
 状況がこのように流動的で、一つ一つ丁寧な判断が必要なときにこそ、外交は国の将来を決める上で決定的に大事な役割を果たすことになります。いくつか重要なことがあります。
 日本は世界の歴史の流れを意識し、その中に日本を位置づけることが肝要です。日本が歩んできた歴史を振り返り、5年、10年、30年、50年後にどのような立ち位置にいるのか、いたいのかを考え、行動を決めていく必要がある。日本人が大切にしている大事な原則、例えば自由、平等、民主主義について確たる自信を持つとともに、それをどう守るかを考えることが大事です。言い換えると、将来の国と国との関係の中で、日本が国家として、国民に幸せと安全を提供できるのはどういう状況かを考えることが重要になってきます。
 また、日本人一人一人が「幸せ」を感じることができるような日々の外交も大事となります。毎日、豊かで安心した生活を送ることができ、外国を訪問したときに、友情と敬意をもって温かく迎えてもらえるよう、諸外国と人との関係を築く外交が不可欠となります。日本のビジネス界の活躍はもちろん、これに大きく貢献しています。
文化交流など相互理解を進めることはもちろんのこと、相手に利益を与え合うような関係の構築も大事です。このためには、短期的に国内で議論を呼ぶような政策も必要となるでしょう。
 例えば移民政策。日本の活力を長期的に維持していくためには移民が必要ですが、今の日本の制度は欧米や豪州など、移民を多く受け入れてきた国々と違って十分でないと感じます。ただ、日本に来る人々が安心して社会に受け入れられ、社会に貢献できる制度が全ての技能レベルの移民に対して与えられる一方、受け入れる日本国民が不安を抱かないような制度と環境作りが不可欠です。
■待ったなしの地球環境への対応
 次に、人類と地球の未来のための持続可能な環境の問題です。日本は豊かな文化と歴史に加え、優れた技術と経済力を持つ国です。人類の発展と地球の保全のために、率先して世界を引っ張っていくことが可能です。
 地球環境への対応は待ったなし。グテレス国連事務総長は「沸騰する地球」という言葉で温暖化に警鐘を鳴らしました。温暖化は激しい気象状況を作り出し、人々が住む地域を脅かしている。地球環境を維持する上で欠かせない多様な生物の生存も脅かしています。
 人類全体のため、長い目で見れば日本のため、こうした事態に対応していく必要があります。日本が末長い将来を見据え、広い視野に立った、成熟した外交を展開していくことに期待しています。(聞き手 黒沢潤)
 〈やまもと・ただみち〉1950年生まれ。東京工業大卒。74年に外務省入省。北米第1課長、在韓国、在米国政務公使などを経て2006年、広報文化交流部長。08年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)代表部大使。アフガニスタンパキスタン支援担当大使、駐ハンガリー大使などを経て16年6月、国連事務総長特別代表兼国連アフガン支援団(UNAMA)代表に就任。20年3月に退任し、現在は立命館大客員教授などを務める。
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 2月29日 MicrosoftStartニュース CNN.co.jp「豪州、海軍戦力の増強を発表 第2次大戦以降で最大規模へ
 アデレードフリゲートの「ダーウィン」/IMAGO/piemags/Reuters
 © CNN.co.jp
 (CNN) オーストラリア政府は29日までに、自国海軍の増強を図るため今後10年余で350億米ドル(約5兆2500億円)以上を費やし、第2次世界大戦以降では最大規模の海上戦力を整える計画を明らかにした。
 軍事専門家らはインド太平洋地域で強まる中国の軍事進出などを踏まえた措置とみている。豪州政府の声明によると、この計画が進めば同国海軍が擁する主要な水上艦艇は計26隻に拡大する。
 駆逐艦フリゲート艦が20隻、無人艇のように乗組員なしでも操舵(そうだ)可能な仕様にできる大型水上艦(LOSV)の6隻を盛り込んでいる。これら水上艦船は、米英豪の安全保障協力の枠組み「AUKUS(オーカス)」の下で調達予定の原子力潜水艦艦隊の戦力に加わることになる。原潜の最初の3隻は今後10年の早い時期に引き渡される予定。
 人気のカッパドキアイスタンブールなどトルコが誇る5つの世界遺産を巡るツアーを多数ご用意
 増強計画が達成された場合、2040年代半ばには現在保持するホバート級の誘導ミサイル駆逐艦3隻、新たなハンター級フリゲート艦が6隻、多目的な用途に応じられるフリゲート艦が11隻にLOSVが6隻の陣容となる。
 ホバート駆逐艦については対潜攻撃能力などを高め、フリゲート艦11隻は対空能力や護衛任務の作戦に振り向けるとした。さらにより小型の艦艇25隻が沖合で巡視任務などを遂行するとした。
 政府はこれら海軍戦力の近代化を進める緊急性に言及し、新たに調達するフリゲート艦11隻の最初の分について日本、韓国、ドイツやスペインから得た現行の設計案に基づくものになるだろうとも述べた。豪州国内の造船所が建造を手がけるともした。
 今回の海軍増強計画は米海軍の退役大将が主導した委員会による独立的な戦力見直しの検討作業を受けたものとされる。声明は、同委は豪州が世界の海軍史上で最も旧式の戦力を抱えているとの結論を下したと述べた。
 海軍増強計画では中国への具体的な言及はなかったものの、同委は水上艦隊は将来的に豪州北部の海域での巡視など必要不可欠な活動を支援する能力確保が必要になっていると指摘した。
 豪州ニューサウスウェールズ大学キャンベラ分校の海軍問題の研究員は今回の計画について、政府や国防当局が豪州が直面する戦略的な環境への懸念を物語っていると分析。地元のABCテレビとの会見で、20年代の後半に中国が南シナ海や北東アジアで軍事侵略的な活動を強め、インド太平洋地域はリスクが高じる時期に入るとの指摘が多く出ているとも述べた。
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🔯20」─3─優生思想は古代ギリシャ時代から存在し、スパルタは優生思想で自滅した。~No.63No.64 

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 優生思想は、西洋キリスト教世界と中華儒教世界に胎児のように存在し、時代の趨勢によって生み出されていた。
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 2024年3月23日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは古代ギリシャで猛威をふるっていた「優生思想」…「スパルタ」は優生思想で滅びていた…!
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】ヒトラーナチスによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 自己家畜化する人間
 1870年代、まだ優生学という言葉を作る前、ゴルトンが人間の進化的改良のアイデアを示したとき、ダーウィンはやんわりと批判し、懸念を述べた。壮大ではあるが、実現不可能なユートピア計画、という印象を受けたらしい。現実問題として、誰が体力、道徳、知性の面で優れているのか、容易には決められないと指摘している。
 とはいえゴルトンの『天才と遺伝』を称賛した経緯からも窺い知れるように、また『人間の由来』で説いているように、ダーウィンにとっては人間の知性も道徳も、人間が創り出す社会も、生物の様々な性質と同じく自然選択を主とする生物進化の産物だった。
 そもそもダーウィンはかなり早い段階から──『種の起源』を出版する以前から、人間の様々な性質は自然選択で説明できると考えていた。『種の起源』には、あえてその部分を含めなかっただけである。
 人間に作用する自然選択が、文化的な理由から、例えば何らかの価値観に基づいて、婚姻や協力などを介し人間自身が引き起こすものであった場合、それは自発的な人為選択、とも言える。
 ダーウィンは、人間の身体や行動などに、品種改良された犬や猫などの家畜と類似した性質があることから、人間は家畜の育種で選抜した友好的な行動と見かけを、人間自身に対しても選択し、進化させてきたと考えていた。つまり人間の進化は自己家畜化だ、というわけである。
 社会ダーウィニズムという言葉があるが、もしダーウィンのオリジナルな思想をダーウィニズムと定義するなら、この語は重複表現である(*1)。なぜならダーウィンの進化論と自然選択説は、もともと人間の知性や協力行動、道徳、そして社会の進化を、それ以外の進化と一体のものとして含んでいたからである。そこには部族のような人間集団を単位とした素朴な集団選択の考えも添えられていた。
 人間社会に生物進化の考えを適用したのが、英国、米国、そしてナチスへと至るゴルトン流の優生学の系譜であるとするなら、当初から人間の進化を念頭に置いていたダーウィン自然選択説そのものが、この系譜の発端だったと言えるだろう。
 ところがダーウィンのオリジナルな進化論は、原理的に「人種」の存在も、その優劣も否定する。生物は常に変化し、分岐し、そして進歩を否定するからである。そもそもダーウィンは「種」を実在しない恣意的なカテゴリーだと考えていた。皮肉にも本来、人種差別を否定し、人々の優劣を否定する理論が、その逆の役目を果たしたわけである。
 ダーウィンは進化論の着想を得る前から、奴隷制度廃止論者だった。ビーグル号航海記では、奴隷制度に激しい嫌悪感を示し、人種差別への違和感を吐露する場面がみられる。
 だが、科学の理論や発見の意義と、それを生み出した科学者の価値観を結びつける試みは、物語としては魅力的だが、得るものは少ない。人の心は、科学の理論とは比較にならぬほど複雑で捉えどころがなく、矛盾に満ちているように思われるからである。つまり両者の関係を観察する側の価値観──偏見や先入観次第で、いかようにも解釈が成り立つ。
 例えばダーウィンの別の側面を見れば別の理解も可能だ。ヴィクトリア期英国の中産階級の大半がそうであったように、ダーウィン階級意識アングロ・サクソン優位の偏見を抱いていた点は否定できないし、『人間の由来』から女性差別の視点を読み取るのも可能である。
 偏見や差別の強化に科学を利用した科学者の場合もそれは同じで、動機の背後にある価値観の由来を推し量っても、あまり有益な知見は得られないだろう。
 ダーウィンの理論を応用して、天才に至高の価値を置き、先天的な能力と道徳性で優劣をつけ、優れた者だけを選抜して人間全体を強化する思想を唱えたゴルトンだが、『天才と遺伝』に、こんな怨念じみた感想を述べている。
 「少年と少年、男と男の間に違いを生み出す唯一の要因は、地道で道徳的な努力であるという、ときに明言され、しばしば仄めかされる仮説が、私には我慢ならなかった」
 ゴルトンの思想は、神童だったはずの彼が、どんなに努力しても仲間たちについていけなかった学校生活、それから、どんなに勉学に励んでも秀でることがかなわなかったケンブリッジ時代の経験に由来する、と考える科学史家もいる。人の多面的な心の何を見るかで解釈は変わるのである。
 危険な思想が出現した理由のすべてを、特定の時代の特異な個性に帰すのがよいとは思えない。それよりどの社会の誰の心にも、それを抱く素地がある、という認識を持ったほうがよいのではないか。
 その思想は不死身の生命体のように、はるか昔から雌伏していて、時を得るや人と社会を利用して姿を現し、猛威を振るい、やがていずこかへ姿を消して復活の時を待つ──そう考えるのが適切であろう。科学者が思想を生み出したというより、思想が科学者を宿主とし、科学を武器に利用したのである。
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 (*1)社会ダーウィニズムの語は19世紀後半には既に使われていたが、現在の意味で広く使われるようになったのは、主に20世紀半ば以降である。また定義も非常に曖昧で、本来ダーウィニズム(これ自体曖昧な用語である)と関係の薄いスペンサー進化論がその代表とされたり、相互扶助を訴えるクロポトキンの進化論を含む場合があるなど、誤解を招くのであまり好ましい用語であるとは思えない。
 ギリシャ時代からあった優生思想
 優生学の思想も、実はゴルトンが創始したものではない。ゴルトンは優生学(eugenics)という名称を、ギリシャ語の「生まれつきのよさ」を意味する言葉(eugene)から採ったが、自身の貢献を強調するためか、ギリシャ時代の話には、あまり言及していない。だが古代ギリシャにおいて、優生学は猛威を振るっていた。
 紀元前4世紀、プラトンは健全な社会を築くために必要な優生政策を、「国家の洗浄」と呼んだ。プラトンが『国家』で提言した政策の要点は、「不適格」な者の排除と「適格」な人間の繁殖であった。プラトンはそれを優れたイヌやウマを選抜する育種になぞらえた。繁殖に関するプラトンの提言は以下のようなものだ。
 上流階級の市民のうち良質と評価された男女だけが結婚し、それ以外は繁殖を禁じる。質の低い者は下層階級に追放する。結婚は祭り期間の1ヵ月だけで、生まれた子供は母親から離し、公営の保育所で養育する。もし子供に欠陥があれば、適切に隔離する。優秀な若者は次の祭りにも参加して結婚できるが、国家が認めない組み合わせの男女による繁殖を禁止する。ただしこうした強制的な結婚管理が受け入れられない可能性を想定し、祭りの際、くじ引きに見せかけて、裏で男女の組み合わせを操作する手段を考えている。
 アリストテレスはこのプラトンの提言に対し、保育所での養育の難しさなどを指摘し、批判している。ただしアリストテレスも優生政策自体には反対しておらず、エリートどうしの結婚を奨励して、集団の遺伝的性質の向上を目指す点は同じである。またアリストテレスは子供に対する負の優生学的対応に、より積極的である。
 その後プラトンはこの優生政策の法制化を目指し、『法律』に草案を示した。
 「羊飼いや馬の飼育者は(中略)不健康なものと悪い品種を追い出して、健康なものとよい品種を世話する。(中略)浄化を怠れば、ほかのすべての動物の純粋で健康な性質を破壊してしまう。だが、最も重要なのは人間についてである。立法者は調査を行い、適切な浄化やそれ以外の手続きを示すべきである」
 プラトンによれば、男性は国家の利益になるよう適性を考えて、女性に求愛すべきだという。さすがにプラトンも1ヵ月限りの結婚は非現実的とみたようで、一夫一婦制の結婚を厳格な貞操観念を規定する法のもとに認めた。ただし結婚した夫婦の義務は、最高の子孫を残すことであり、それが果たせるよう国家委員会の監視下に置かれる。また結婚、出産等の公式記録をとり、保管する。
 プラトンの提言は、ゴルトンの提言と根本はほぼ同じであった。
 優生思想で滅びたスパルタ
 驚くべき効率による人為選択で遺伝的な性質を向上させ、強力な市民と戦士を進化させる優生政策は、スパルタで実現していた。スパルタの貴族のうち弱い者、劣った者は、様々な手段で遺伝子プールから排除され、繁殖を禁じられた。
 激しい肉体的闘争は、スパルタの若者の武勇と身体能力を評価するための手段であった。闘争の敗者は弱者と見なされ、劣等と判定された場合は、繁殖の権利を剥奪された。しかも劣等とされた若者だけでなく、その姉妹も同じく子供を持つことを禁止された。
 その結果、スパルタは市民を最強の戦士に仕立て上げた。またスパルタは外国人との混血を嫌い、外国人は追放された。ただし、過度な選択のため人口減に悩まされ、人口を維持するために、独身に罰則を与えたほか、4人以上の子を持つと課税を免除した。
 スパルタでは強化対象にならない下層階級(奴隷)の繁殖力と人口増加を恐れ、しばしば下層階級に対する無差別な大量虐殺が行われていたという。
 しかし結局、人口減が著しく経済的にも衰退し、内紛や外国の侵略などのため崩壊した。
 それから約400年後、ローマ時代のゲルマニアでも、戦士の強化を目的とした正の優生政策が行われた。身長が高く頑強な者だけに結婚を許し、一夫多妻制を設けた結果、強力な戦士社会を進化させるのに成功したのである。ただし、彼らは道徳的な面で問題があり、規律や精神力に難があったと伝えられている。
 それ以降、本格的な優生政策は実施されなくなったが、散発的な活動や提言はその後も続き、優生学の思想は生き続けていた。息をひそめていた魔物を目覚めさせ、偏見と差別のエネルギーを与えて、地上に蘇らせたのは、堕落への恐怖を進歩で克服しようとしたゴルトンの正義感だったのであろう。
 当時の欧米社会を広く覆っていた社会不安、混乱、移民、世俗化の進行、国家や上位階級の没落への危機感など、魔物の復活や成長に適した条件はそろっていた。それに強力な武器を与えたのが科学だった。ダーウィンの進化論である。科学の真偽はそれほど問題ではなかった。科学的という呪文が力を与えたのである。
 ダーウィンの理論や仮説の信頼性やその限界が本当は何であるかは、どうでもよかった。ダーウィンや進化論という言葉の響きのほうが悪魔にとって、人々を支配するうえで重要だったのである。これが「ダーウィンの呪い」に備わる魔力である。
 20世紀前半に猛威を振るった優生学が、確かに2000年の時を超えた魔物の再来であったことを、ピアソンは講演でこう仄めかしている。
 「プラトンは、遺伝の厳しさを理解し、劣化した集団の増加が国家の危機だと認識し、立法者に国家の浄化を求めた」「プラトンは、現代の優生学運動の先駆者であると言えるのではないか」
 ナチスの崩壊とともに魔物は去ったが、決して地上から消滅したわけではない。むしろ時が来ればいつでも復活すると考えたほうがよいだろう。
 千葉 聡(東北大学教授)
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🐉21」─5・B─中国共産党の中華民族主義は詭弁である。チベットの中国化。~No.79 

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 世界人民独裁体制を目指すマルクス主義共産主義は、地方に根付く個の民族を圧殺してきた、それは日本民族でも同じである。
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 人類史や民族史において、漢民族は実在するが中華民族などは存在しない。
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 中国共産党が統治・支配、管理・監視する地域では、チャイナ・タウンを中心として中国化が進む。
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 2024年3月19日 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS DIG Powered by JNN「中国政府による漢族との同化政策チベット寄宿学校」で何が? 「チベット語の授業がなくなっていく」
 中国政府はここ数年、チベット族の子どもを寄宿学校に入れ、同化政策を行っていると国際社会から非難を浴びています。寄宿学校で何が起きているのか取材しました。
 ここは中国南西部にあるチベット族が多く住む地域。いま子どもの教育をめぐり、ある問題が浮上しています。
 “中国政府がチベット族の子どもたちを強制的に寄宿学校に送り、中国語を学ばせる”など、漢族との同化政策を強いているのではないかというのです。
 アメリカのブリンケン国務長官は去年8月、「寄宿学校に送られた子どもは100万人を超える」と非難しました。
 私たちは学校を訪ねてみることにしました。ここは「寄宿学校」とされる学校の1つです。近所の人に聞いてみると…
 近所の人
 「生徒は全員、町の外からきたチベットの子どもです。中の様子はよくわかりません。ここは閉ざされた学校なんです。(Q.学生は多いんですか?)わかりません。何人生徒がいるのかもわからないし、普段は外に出てこられないように封鎖されているんです」
 中の様子がわからず、近所の人が不気味だという学校。チベット族の1人はこう話しました。
 チベット族
 「(寄宿学校で)チベット語の授業は少しありますが、生徒たちはうまくしゃべれません。ここ数年の変化です。このままいくと、チベット語の授業はなくなり、すべて中国語になるでしょう」
 いつか自分たちの言葉と文化を失ってしまうのではと、恐怖を感じているといいます。
 チベット族
 「私たちチベット族はなんといっていいか、ちょっと怖いです。無力感を感じます。どうしようもないことです。こういう話をあなたたちにすること自体も危険だと思います」
 「チベットの言葉や文化を消し去ろうとしているのではないか」
 国際社会の指摘に対し、中国政府は…
 中国外務省 汪文斌 報道官
 「寄宿学校に対する攻撃と中傷キャンペーンは、チベットの子どもたちの教育を受ける権利に対する冒とくと侵害であり、チベットの人権に対する干渉と破壊だ」
 しかし、子どもたちには変化が起きていました。
 チベット族
 「小学校1年生から中国語を勉強しています」
 「(Q.チベット語と中国語どっちが話しやすい?)中国語です」
 「(Q.家族と話すときはチベット語ですか?)(うなずく)」
 「(Q.でも、中国語の方が話しやすいんだ?)中国語の方が話しやすい」
 インドにあるチベット亡命政府のツェリン首相は、次のような懸念を示しました。
 チベット亡命政府 ペンパ・ツェリン首相
 「中国が行っている教育システムが人々の心や考え方、生き方のすべてを変えることを目的にしているのであれば、それは文化的ジェノサイドに等しいと思います」
 寄宿学校をめぐり、アメリカは中国当局者のビザ発給を制限するなど圧力を強めており、今後、米中の新たな火種となる可能性もあります。
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🛳50」─1─東アジアの英雄「鄭成功」。長崎県平戸市で顕彰の動き。~No.253 

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 中国や朝鮮などアジアの変革は、戦前までの日本が発信源であった。
 孫文金玉均、その他。
 現代日本には、戦前までのアジアや世界の為に自己犠牲で「大義をなさん」という志や義俠心はない。
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 現代日本のエセ保守とリベラル左派は、大陸中国中国共産党に忖度し味方して親日の台湾を切り捨てようとしている。
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 九州圏広域地方計画推進室 All Rights Reserved.
 人々の交流(5)
 長崎平戸生まれの「東アジアの英雄」
 「鄭成功」は、中国大陸で明が衰退し、清が勃興した時代の変革・動乱期に「抗清復明」を掲げ大活躍した。父は中国海商の鄭芝龍、母は平戸市川内町の田川マツ。母マツが千里ヶ浜の大岩にもたれ鄭成功が誕生したといわれている。明王朝の国姓「朱」を賜ったことから「国姓爺」と呼ばれ、明王朝滅亡後はオランダの支配下にあった台湾を開放・開拓し「東アジアの英雄」として顕彰されている。我が国では近松門左衛門の『国姓爺合戦』のモデルとして有名である。
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 2024年3月19日 YAHOO!JAPANニュース 読売新聞オンライン「台湾をオランダ支配から解放した鄭成功の生誕400年…出生地・長崎県平戸市で顕彰の動き
 「鄭成功児誕石」について説明する岡会長(2月28日、長崎県平戸市で)
 中国・明王朝の再興を目指し、台湾をオランダの支配から解放した鄭成功(1624~62年)の生誕400年となる今年、出生地の長崎県平戸市で功績を顕彰する動きが広がっている。新たな分霊廟が4月にオープンし、夏には日台の研究者らによるシンポジウムなども開催される。経済面で台湾の存在感が高まる中、市は歴史的な結びつきをアピールし、地域の活性化につなげたい考えだ。(小松一郎
 【写真】鄭成功肖像画
 白い砂浜が広がる同市・平戸島の千里ヶ浜。「鄭成功児誕石」と刻まれた石碑の傍らに、大人の背丈ほどの岩が突き出ている。「貝拾いをしていた母がにわかに産気づき、この岩にもたれて産んだと伝えられています」。同市にある鄭成功記念館の岡一義・運営委員会会長が説明した。
 台湾で民族的英雄として崇拝されている鄭成功。平戸を拠点とした中国人海商・芝龍と、平戸の女性・田川マツとの間に生まれ、市内には関連する史跡や施設も多い。1962年、台湾の協力を得て鄭成功をまつる分霊廟が建立され、2013年には市が県史跡「鄭成功居宅跡」に、生家を再現した記念館を建てた。
 市は生誕400年に合わせ、老朽化した分霊廟を約1700万円かけて居宅跡に移転・新築する計画を進めている。観光客が周遊しやすくするためで、4月にオープニングセレモニーを予定。7月には台湾から鄭成功の子孫らを招き、記念館前で生誕400年祭を開く。平戸のアゴなどの水産加工品、台湾の料理などを相互にPRする事業も検討中だ。
 同市の松浦史料博物館も8月、鄭成功や東アジアの歴史・交易に詳しい専門家らによるシンポジウムを開催する。岡山芳治館長は「日台の研究者が多角的な観点から鄭成功を論じ、情報を共有して見識を深めたい」と意気込む。
 市内では毎年7月に生誕祭が開かれ、2011年には当時の台南市長で次期台湾総統の頼清徳氏も参列した。こうした縁から地元経済界も台湾に注目し、進出を検討中の企業もあるという。鄭成功は中国でも崇拝されており、観光客増加への期待も高まる。
 台湾積体電路製造(TSMC)の熊本進出に伴い、台湾と九州の経済交流は活発化している。平戸商工会議所の松山芳弘専務理事は「台湾と平戸の歴史的なつながりを基に、人と物の交流をより発展させたい」と話している。
鄭成功=平戸で生まれた後、7歳の時に海を渡り、南京大学で学んだ。明滅亡後、満州族による王朝・清に抵抗して明を復興する「抗清復明」を目指したが敗北。オランダに支配されていた台湾を攻略して解放した。近松門左衛門浄瑠璃国性爺合戦(こくせんやかっせん)」のモデルとしても知られる。
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 世界史の窓
 鄭成功
 17世紀後半、明の遺臣と称して台湾を支配した。鄭芝竜の子で母が日本人。鄭氏の支配する台湾(鄭氏台湾)は清に服属せず、その死後、1683年まで存続した。
 鄭成功の父は、鄭芝竜という福建出身の海賊集団の首領で東シナ海から南シナ海一帯にかけて活動していた。彼が日本の平戸に滞在中に日本人女性の田川氏と結ばれ、1624年に生まれたのが鄭成功(幼名福松。後に鄭森と名乗る)である。明は台湾へのオランダの進出に対抗するため、鄭芝竜を官につけ、台湾に進出させた。1644年に崇禎帝が自殺して明が滅亡すると明の王室の一部は鄭芝竜を頼り、明の復興を策して清朝に抵抗した。鄭芝竜・成功親子は福建で明の皇帝一族の朱聿鍵(唐王)を立てて隆武帝として擁立した。鄭氏親子の派遣する船は、鎖国下の日本の長崎にも来航し、オランダ船と競っていた。
国姓爺を名乗る
 1645年、21歳のとき、隆武帝から、明王朝の姓(国姓)である朱姓を賜わり(成功という名も与えられたのもこの時)、国姓爺と言われるようになった。爺は「旦那」といったような意味である。鄭成功は華南一帯に残存する明の皇族や遺臣を統合して反清復明運動を起こした。翌年、清軍は隆武帝を捕らえ、父の鄭芝竜に官職と引き換えに降服を促すと、鄭芝竜は清と交渉しようとして北京に赴いたたところで軟禁されてしまった。残されたその子鄭成功は華南の厦門(アモイ)を拠点に反清復明運動を激しく展開した。その年1646年、鄭成功江戸幕府(将軍徳川家光)に援軍を要請したが、幕府はそれを拒否した。
 清の遷界令
 しかし、1659年には南京を奪還しようとしたが失敗した。それに対して清は1661年、華南の福建・広東などの沿岸に遷界令(沿岸地方の住民を内地に強制移住させて無住地帯とし、鄭氏一族との交易をできなくしようとしたもの)を出し、鄭成功を屈服させようとした。
 オランダ勢力を撃退
 鄭成功は同じく1661年、2万5千の大水軍を率いてオランダの台湾支配の拠点、ゼーランディア城を攻撃、翌年その勢力を追放した。オランダの台湾支配は終わり、1683年まで、22年間にわたる鄭氏三代にわたる鄭氏台湾の時代となった。これは、台湾における漢人政権の最初のものであった。
 1662年、鄭成功は39歳で病死(清の康煕帝が即位した年である)し、そのあとは子の鄭経が厦門から移って意志を継いだ。鄭氏台湾は三代、22年にわたったが、鄭成功の孫の代で内紛により弱体化し、1683年に康煕帝によって征服される。<戴國煇『台湾-人間・歴史・心性-』1988 岩波新書/伊藤潔『台湾 四百年の歴史と展望』1993 中公新書
 Episode 日本でも人気の高い国姓爺、鄭成功
 国性爺
 文楽 国性爺合戦の一場面
 文化デジタルライブラリーより
 1715年に近松門左衛門の脚本で大坂竹本座で上演して人気を博した浄瑠璃『国性爺(こくせんや)合戦』では、平戸の和藤内(実は鄭成功、和藤内とは和=日本でも唐=中国でもない、というシャレ)が日本に逃れてきた明の皇女を助けて大陸に渡り、明の遺臣呉三桂と協力して韃靼兵(清軍)と戦い、明室再興の宿願を達成し、その功績によって明帝室の「朱」という姓(つまり国の姓)をあたえられたので国姓爺(日本では国性爺と書くのが一般的)といわれた、という話になっている。この話は大半が創作だが、主人公の鄭成功は父が鄭芝竜、母が日本人で平戸の出身の田川氏、彼自身も子供の頃は平戸で過ごした人であることは事実だったので近松の作品は大当たりした。
 参考 江戸幕府、明復興協力を断る
 また鄭成功も何度か江戸幕府に応援を要請しており、明と清の争いは日本でも関心が持たれていた国際的な出来事だった。鄭成功が父を殺された清に復讐し、明を復興させようとする話は、日本でもよく知られ、英雄視されていた。しかし、江戸幕閣は1650(慶安3)年、長崎などで中国人から情報を集め、明復興が困難であると判断、鄭成功の要請を断った。このとき、明と清の争いに介入して大陸に出兵しようという主張もかなりあったらしい。現代と同じような海外派兵の要請が江戸時代にあったことは興味深いが、時の幕閣が海外派兵をしなかった(あるいはできなかった)判断は正しかったと思われる。
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